鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

スクラップ・アンド・ビルド

羽田圭介著『スクラップ・アンド・ビルド』読了。

 

スクラップ・アンド・ビルド

 広告や書評を先に読んでしまったせいか、読む前と読了後と違う印象を持ちました。(以下、ネタバレ)

 

 主人公の青年、健斗はカーディーラーを退職後、資格試験の勉強をしながら再就職活動中。同居する祖父は大きな病気はないものの、老化に伴う体力や気力の衰えによって家族を煩わせる存在となっています。

 健斗と祖父、介護する側とされる側の間にある社会的な問題や介護をめぐる家族や親戚の関係が日常生活の中に映し出されていきます。「介護」というと陰鬱な空気感があったり、または絆や優しさが溢れる心温まる雰囲気だったり...。しかし、この作品はそのどちらでもなく、日常生活で起こるできごとはフィクションとはいえ、具体的で現実味があり、それが面白おかしくもあり、また共感を得るところでもありました。

 

 現在の高齢者をとりまく現場、例えば病院や介護施設の現状を作品のなかに取り込んでいます。

 かといって、一度目の緊急入院時に約二ヶ月間利用した、患者を薬漬けにして弱らせる病院へ社会的入院をさせようにも、介護関係の診療報酬が下げられた今は簡単に入院などできないし、できてもすぐに家に帰される。つまり薬漬けの寝たきりで心身をゆっくり衰弱させた末の死をプロに頼むこともできないのだ。

 思わず「ああ、そうだ」とつぶやいた一節です。実際に、私の母が交通事故で骨折したとき、搬送された病院でやれ血糖が高いだの血圧が高いだのと薬漬けにされて、その薬の副作用で嘔吐を繰り返すようになり、瞬く間に痩せて弱ってしまったことを思い出しました。入院中、寝たきり状態から少しだけ上体を起こしときに軽くふらついたとたん、すぐにナースが薬を持ってきました。それが乗り物酔いの薬だったので「こうして薬漬けになっていくんだ」と実感しました。

 また、介護ビジネスのついてもその「優しさ」に触れています。

 プロの過剰な足し算介護を目の当たりにした。健斗は不愉快さを覚える。被介護者への優しさに見えるその介護も、おぼつかない足取りでうろつく年寄りに仕事の邪魔をされないための、転倒されて責任追及されるリスクを減らすための行為であることは明らかだ。手をさしのべず根気強く見守る介護は、手をさしのべる介護よりよほど消耗する。要介護3を5にするための介護。介護等級が上がれば、国や自治体から施設側へ支給される金額も上がる。 

 「効率的な介護」。聞こえはいいですが、効率という名の怠慢が潜んでいることを物語っています。高齢者たちが「優しさ」に導かれ、自立機能を失うスパイラルにはまっていくことに危機感を感じる人はどれだけいるでしょう。それは普段離れて暮らしている家族や親戚たちも同様です。

素人は引っ込んでろ!これだから目先の優しさを与えてやればいいとだけ考える人間は困る。被介護者の自立をうながす立場に立つなら姉も叔父も気安く手をさしのべるべきではない。

 自宅介護は、ちょっとしたことから家族の軋轢が生まれるときがあります。祖父の「尊厳死」に向けて自立を失わせていくのが健斗の目的ですから、姉たちが祖父の自立を願うなら引っ込んでろという、ちょっと皮肉な感じです。 

 健斗は老いていく祖父を見て、自ら厳しい筋トレに励みます。

 しかし、健斗の脳裏には、甘えきった末に自立歩行もできなくなった老いた人間の姿が浮かび上がる。目先の楽にだまされるな、怠けちゃだめだ俺の筋肉。

 筋トレによって筋肉が変化していく詳細な説明がちょっとオタクっぽいのですが、それがかえって面白く感じました。自分に厳しく律している健斗は、ガール・フレンドの亜美が駅で真っ先にエレベーターを利用し、電車の座席を逃さず座ったり、「どうせ私は…」とかわいくいじける言動にも、やがて嫌悪感を持つようになります。甘えてしまう高齢者と重ねてみたのかもしれません。

 亜美の彼氏としての健斗を見た場合、亜美との会話はほとんど興味がなくて、セックスだけが目的のように思えるのですが、そのあたりの描写も筋トレにつなげているのも笑えます。亜美に対してキツいこと言ったかと思うと、かまってちゃんなところもあって、案外面倒くさいかも...(笑)。

 健斗が目を離した隙に、祖父がバスタブで溺れかかり、あわてて助けた健斗は、死にたがっていた祖父が、本当は生にしがみついていることに気づきます。

ようやく呼吸を落ち着かせた祖父は、健斗の腕にしがみついたまま、浴槽の外に出ることを無言でうながした。動揺しながらも健斗も無言で祖父の身体を洗う。弱音も文句もなにも言わない祖父の発する圧力に、潰されそうだった

 「早う死にたか」と愚痴っても、身体の衰えを自覚しても、それでも生きたいという祖父の強い欲求を目の当たりにして、健斗の焦りや後悔のような複雑な気持ちを感じます。一方、祖父は孫に助けてもらった安堵感と感謝の気持ちがあって、狭い風呂場に存在する対照的な二人の気持ちが印象的でした。

 健斗の再就職が決まって実家を出ることになり、祖父が優しく見送るところでストーリーが終わります。祖父がその後どうなったかは読者に委ねています。

あらゆることが不安だ。

 祖父の介護によって、老いを直視し、自分自身や社会的な不安を実感し、それに闘う覚悟ができている健斗に好感が持てました。

 超高齢化社会に突入した今、この作品は旬といえると思います。