鈴の本箱

本のこと、あれこれ(覚書)

吾輩は猫であるノート その後

 朝日新聞に掲載されていた『吾輩は猫である』が3月に終了してから3ヶ月が経ちました。

 掲載開始を機に発売された「吾輩は猫であるノート」を購入したことをブログに書いたときは、テンションが上がり気味でした。

mtwood.hatenablog.com

  しかし、この時点ですでに自ら心配していた点が二つ。

  1. 最後まで切り貼り続けられるか。
  2. 毎回読了できるか、もしくは貼り付けた後に読むか。

 掲載が終わった今、そのノートを開いてみます。
 まず、切り貼りは最後までできました。

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 最初の数週間は気になった言葉なんかを抜き書きして調べたりしていたんですが、1ヶ月を過ぎたあたりから「切り貼り」作業帳と化してしまいました。

 忙しく読めなかった日もあり、切り貼り後、ノートを開いて読んだかといえば、3ヶ月たった今も読んでません。理由は明らかです。この作品の前半は猫中心で描かれているから楽しく読めるのですが、後半は失速気味。書籍で読もうが新聞で読もうが、学生時代となんら変わっていない自分を再認識しました(笑)。

 

 今回、「切り貼り」に対する心の隅になんとなくある嫌悪感にも気がつきました。途中で投げ出すこともできましたが、その嫌悪感を克服すべくリベンジといいますか、いわゆる心理療法の一つになったのかもしれません。

 母方の祖父が教師で、祖父の部屋にはずらっと並べられた本とスクラップブックがありました。本棚にきれいに並べられた本は「絶対にさわってはいけない」もの。スクラップブックも同様でした。祖父は上京するたびに我が家を宿にしていて、そのときもスクラップブックを持参して、朝、新聞を読み終わるとジョキジョキ...。私が小学生だったある日、「スクラップブックに何を貼ってるの?」と聞くと「小学生の水鈴さん(祖父は物心ついたときから「さん」付けで呼びました)には説明してもわからんだろうな」といい、神保町で見つけた古本も「この本はどういう本なの?」と聞いても「小学生には難しい」と応えてはくれません。

 一方、父の本棚にある本は手垢でうっすら汚れている本が多く、兄も私もさわってよし、読むもよし。『大統領の陰謀―ニクソンを追いつめた300日 (1974年)』(ボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン著)が出版されたとき、早速買って読破した父は「ノンヒクション(フィと発音できない)だぞ。こういうのを『ペンは剣よりも強し』っていうんだろうな。読んでみるといいぞ」と子供だった私たちにイチオシでした。

 父と対照的な祖父の対応が不満だった私は、ある日両親にそのことを告げました。すると母は「昔っからおじいちゃんは買って並べて眺めてるだけなのよ。読んではいないんだから。スクラップも貼ってるだけでしょ。」といい、父は「スクラップするだけでも大変なのかもしれないなぁ...。全集ものを読むのも時間がかかるだろうしな」と義父への配慮を見せ、兄は「だったら、本屋にあるポスターでさ、重ねた本の背表紙が写ってるのがあるじゃん。それ、じいちゃんの本箱に貼ればさ、買わなくていいじゃん」との提案に、「おじいちゃんの前で絶対そんなことを言ってはいけない」と激しく却下されました。

 (な〜んだ、スクラップってつまんないの!)と思った瞬間、心のどこかで嫌悪感が芽生えてしまったように思います。この嫌悪感は中学校でさらに募ります。

 夏休みの自由課題で、クラスのS子ちゃんが全国高校野球大会の記事をスクラップしてきました。(S子ちゃんってそんなに野球好きだっけ?)と疑問を持った私でしたが、社会科の先生がベタボメで、校内の夏休みの課題に与えられる賞ももらったほどでした。でも私にはその評価が理解できませんでした。野球部だったA君が「おお、すげえ。S子、よくやったなあ...。そうだ、優勝した高校の打率は何割かわかる?」と質問したとき「ええっと...」とバサバサページをめくっている間に、野球好きの父親を持つY君が「あの高校は◯割だろ。親父が言ってた」と即答したのです。その答えは正解で、S子ちゃんは絶句。その光景に中二病の私は(な〜んだ、貼っただけで読んでないじゃん)と思ってしまい、祖父のスクラップと重なってしまいました。S子ちゃんが嫌いなわけではなく、評価した先生に対し「ばっかじゃない?」と思ってしまい、スクラップブックにますます意味が見出せなくなってしまったのです。 

 時代は変わり、あれだけスクラップすることの良さがわからなかったのに、現在はevernoteやテキストファイルなどにコピペして保存した記事などの切り抜きはフル活用しています。これはデジタルとか紙とかいう問題ではなく、切り抜いたものをどのように利用するか目的が明確だからなんですよね。

 祖父やS子ちゃんのスクラップブックは、「毎日切り抜いて貼る」ことが評価されているということなのでしょう。「継続は力なり」と言いたいのかもしれませんが、池上彰氏や佐藤優氏みたいに「それが何の力になるのか」「あなたはその切り抜いた記事をどのように活用するのか」という問いかけは祖父や社会科の先生の頭にはなかったのかもしれません。

  そして私の「吾輩は猫であるノート」も最後まで貼れたことは評価できたとしても、利用目的はほぼ皆無で始めてしまったわけです。「猫ノートかわいい〜」、「切り貼りしよう〜」のノリだけ。人のスクラップブックにケチつけていた自分はいくつになっても浅い。浅すぎて自己嫌悪です(笑)