鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

ジェイン・エア 4(ヘレン・バーンズ)

 

ジェイン・エア(上) (岩波文庫)
 

  ゲイツヘッドを出て、一人乗合馬車に揺られたジェインは、長旅の末、ローウッド養育院に到着したころには疲労困憊。周りを観察する気力もなくぐっすり眠りにつきました。

 翌朝からジェインはこのローウッド養育院の生徒として生活がスタートします。身を切るような寒さの朝、震えながら着替えをすませ、洗面器にはった水は凍り、朝食は焦げたおかゆという厳しい初日を迎えます。空腹だったのでとりあえず食べましたが、味はひどいもの。ジェインは制服をはじめ、先生たちや生徒たちの表情から楽しいところではないと感じます。

 そんなローウッドで初めて「学び」を知り、「尊敬」と「信頼」を得たように思います。

 まず、ジェインにとって初めての「友だち」になったヘレン・バーンズ。

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 彼女は父親が再婚したため、ローウッドに送られました。ジェインより少し年上ですが、すでに人生を達観しているというか、悟りを開いているというか、精神年齢が大人の領域に達している少女です。

 ヘレンとの最初の出会いは、読書しているヘレンに読書好きなジェインが近づき、あれこれと質問をします。丁寧に答えるヘレンは、あまりの質問攻めに「本を読みたいから」と制します。

 その後ジェインは、ヘレンは学科の内容がほとんど頭に入っていて、どんな難問も答えている姿を目にします。こんなによくできるヘレンなのに、スキャチャード先生から「手が汚い」と叱責を受け、罰(ムチ)を受けるのです。

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 体罰のシーンは、現代では好ましいことではないせいか、原作に忠実な映像作品は少ないです。

 原作に少し近いのがこちら。

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(ヘレン・バーンズは)端をひもで縛った、小枝の束を手にしている。この不吉な道具をスキャチャード先生にうやうやしく差し出すと、バーンズは静かに自分からエプロンをゆるめた。すると先生は、すかさずその小枝の束で、バーンズのうなじを勢いよく十数回打った。

  ジェインより若干年上とはいえ、まだ少女であるヘレンのうなじを何回も打つわけです。禅の警策よりずっと痛そうです。涙一つ見せず耐えているヘレンを見て、ジェインは怒りに震えます。そして、ヘレンはなぜ、朝は水が凍っていて、顔も手も洗えなかったことを言わないのだろうと思うのです。

 その後、再びヘレンと話をするジェイン。スキャチャード先生のひどい仕打ちにジェインはまだ怒っているのですが、当人であるヘレンは怒られた理由を受け入れています。そしてスキャチャード先生が感情的にヘレンを嫌っていることもわかっているようでした。

 「だけど、鞭で打たれたり、人がたくさんいる部屋の真ん中に立たされたりするなんて、不名誉なことだわ。しかもそんなに大きい生徒なのに。ずっと年下のわたしでも、そんなこと我慢できないわ」

 「どうしても避けられないことなら、それに耐えるのが義務でしょう。運命によって耐えるように定められていることを、我慢できないなんて言うのは、愚かで弱いことよ

“Yet it would be your duty to bear it, if you could not avoid it: it is weak and silly to say you cannot bear what it is your fate to be required to bear.”

  この言葉にジェインは驚愕するのです。私も驚愕です。小、中学校で先生たちから受けた理不尽な仕打ちに耐えた分だけ怒りもあるわけで、それがいまだに消化しきれてない未熟さは、お恥ずかしい限り。ですから、あのゲイツヘッドの経験から、ジェインが理不尽な仕打ちをする大人に噛みつきたくなる気持ちはよくわかります。ジェインはヘレンにこう言います。

  「(略)残酷で不正な人たちにいつも素直に従っていたら、その人たちは勝手なことをして、恐れるものもなく、行いをあらためるどころか、どんどんひどくなってしまう。理由もなくぶたれたら、力いっぱいぶち返すべきよ。絶対にそう思うわ。ぶった人が二度とぶたないように、思い切り強くね」

 「気に入ってもらおうとどんなにこちらが努力しても、わたしを嫌い続けるような人たちなら、わたしだってその人たちを嫌わなくちゃならないーーそう感じるの。不当ないじめには抵抗しなくちゃ。愛してくれる人を愛し、当然だと思える罰なら案じて受ける、それと同じくらい自然なことよ」

  「そうよ、そのとおりよ、ジェイン!」と賛同する私の精神年齢は10歳のジェインレベルってことですよね(泣)

 納得できないジェインにヘレンはこう言います。

 「憎しみに勝つために一番のものは暴力ではないし、確実に傷をいやすのは報復ではないからよ」

“It is not violence that best overcomes hate — nor vengeance that most certainly heals injury.”

 そして聖書の一説を引用します。

 「敵を愛しなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを憎む者、侮辱する者に親切にしなさい」

 「それじゃ、ミセス・リードを愛せって言うの?そんなことできないわ。息子のジョンに祝福を?絶対に無理」

  「許す」ということの難しさですよね。ジェイン同様、私もおそらく「無理」と言うでしょう。

 ヘレンはその理由をたずねます。そしてゲイツヘッドでのことをヘレンに興奮しながら話します。

 興奮して辛辣な言葉も連ね、感情のおもむくまま、表現を和らげたり抑えたりすることなど、忘れていた。

  まるで私のことを書かれているようでドキッとします。理不尽なことや不当な扱いを受けると、今もジェインのような口調になることがあって、これもまたお恥ずかしい限り...。更年期のせいになんかしてる場合じゃないですよね(苦笑)

 そんなジェインの話を傾聴するヘレン。何か言ってくれるのかと期待していますが、黙っているヘレンにジェインは同意を求めてしまいます。

 「ね、ミセス・リードって、冷酷な悪い人でしょ?」 

 ヘレンはミセス・リードが意地悪で、ジェインを嫌っていたことに理解を示しますが、ジェインが受けた仕打ちを詳細に覚えていることや怒りや恨みの感情についてやさしく諭します。

 夫人の厳しい仕打ちも、それによってあなたの心に生まれた激しい感情もみんな忘れようと努めたら、もっと幸せになれるんじゃないかしら

”Would you not be happier if you tried to forget her severity, together with the passionate emotions it excited?”

 人生は短いんだから、不当な仕打ちを恨み続けたり、憎しみを育てたりしている時間はないとわたしは思うの

”Life appears to me too short to be spent in nursing animosity or registering wrongs. ”

  禅でいえば、固執を捨てるといったところでしょうか。ヘレンは「誰でも欠点を背負っているけれど、命がつきたときはその欠点も堕落も罪も振り落とされて、純粋な魂の輝きが残る。そしてその魂は人間よりも高い存在に授けられるかもしれない。それは決して退行することはない。そういうことが喜びであり、信条でもあるから、復讐や堕落に心を乱されることもない」と言います。宗教的な意味が含まれている気がします。

 ジェインとヘレンの会話を読んでるうちに、『沢木興道聞き書き』の沢木老師の生い立ちを思い出しました。

 沢木老師の育った環境は、ジェインのようにいじめにこそはあっていませんが、沢木家は博打が開帳され、養母は娼婦の古手で養父の11番目の妻で、9歳のとき近所の女郎屋で五十男が孫のような若い娼妓を買って、その場で急死した騒ぎを目撃するようなところで育てられた環境でした。しかし、近所の表具屋の宗七から「金や名誉より、もっと大切なものがこの世にある」と教えられた老師は、寺に通いだし坊さんになる道を選びます。

 なんとなく、ジェインが沢木老師なら、ヘレンは宗七のような役割を持っていると思います。過酷な環境の中で、心を救ってくれるような人と出会えることは幸せなことだと思います。

  この章では、ヘレンの宗教心や瞑想が語られ、物語(読み物)としてしか聖書をとらえていなかったジェインに信仰について少なからず影響を与えたと思います。

 こうした海外古典文学は宗教的な意味合いが登場人物や環境設定に深く関わっているので、学生時代に「キリスト教概論」でちょっと聖書をかじったぐらいの私では正しく理解できていないかもしれません。

 余談ですが、学生時代に「人にしてもらいたいことは、あなたも人にしなさい」という一節(マタイによる福音書)を、私は「どんなに人に尽くしても利用されて終わる、尽くした相手からやってもらったことなど一度もない」と受け入れられず、聖書の書かれていることは理解できないと思ったことが何度もありました。そんなとき、概論の授業で、担当教授が「キリスト教はご利益宗教ではありません」と言われ、つまり「見返りを求めない」と示されたとき、私は今まで懐疑的な解釈しかできないことに気づきました。

 ヘレンのように何か信条を見つけるとしたら、私の乏しい聖書の知識からひねり出したのは「詩篇15章」です。

1 主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。
2 直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、
3 その舌をもってそしらず、その友に悪をなさず、隣り人に対するそしりを取りあげず、
4 その目は神に捨てられた者を卑しめ、主を恐れる者を尊び、誓った事は自分の損害になっても変えることなく、
5 利息をとって金銭を貸すことなく、まいないを取って罪のない者の不利をはかることをしない人である。これらの事を行う者はとこしえに動かされることはない。

 「とこしえに動かされることはない」。何事にも煩うこともなく、ブレることもない。それは自分自身の行為や思考にあるものなんでしょうね。

 カナダで下宿先の家族と日曜礼拝に参列させてもらったとき、「祈り」や「礼拝へ行く」ことは、内省を導きだす時間であり、または忘れかけていた心がけなどを思い出させてくれるリマインダーになっていると思いました。

 今回、ヘレン・バーンズから、ジェインとともに「諭された」凡庸な脳みその私でございました。