鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

母という病/父という病

 久しぶりの投稿。ブックオフで同じタイトルが8冊並んでいて目をひいた。「へぇ、多くの人が読んでるけど、辛くて手放したのかなぁ」と思いながら手にした一冊。

 この本についてなかなか考えがまとまらないのは、自分の中のもやもやが整理つかないせいである。この際、書くことで浄化しようと長文覚悟で書くことにした。

 

『母という病』岡田尊司

(017)母という病 (ポプラ新書)

 いわゆる毒親本だが、今まで読んだものより、生理学的というか医学的な面からの解説もあって読んでいて苦しくなることもなく、読みやすかった。

 哺乳類の出産時に分泌される〈オキシトシン〉が母親の母性を支えるのに対し、父親では〈アルギニン・バソプレシン〉というホルモンが父性を支える。前者が優しさと静のホルモンだとすれば、後者は強さと動のホルモンとなる。

 子供は母親の胎内から生まれてくる。男女平等や育メンが謳われる現在においてもこの性差は否めない。胎内に命を宿した時点から母親の影響を受ける。胎教の大切さも母親の精神と身体の安定性が基本となる。著者は「愛着障害」に関する著書も出していて、生まれてから2年間の母子の関係で子供の人格形成が決まるという。

 私が子供のころ好きだったディズニー映画「バンビ」は、森の王子として生まれ、初めて出会う動物たちに驚いたりとまどったりするが、母親は動じることなくやさしく見守る。母親から草の食べ方、泉の水の飲み方、厳冬の森の中、雪道や氷の上の歩き方(映画ではウサギのダンパーだが...)や草の代わりに木の皮を食べることなど生活の知恵を学ぶ。バンビの父親が登場するのは後である。人間の猟師に母親を殺されて途方にくれるバンビに、森の王である父親が現れ、叱咤激励しながら森の王の後継者として導いていく。

 (2:13あたりから)父親が母親の死を伝えるシーン。威厳と優しさ。まさに理想。

Your mother can't be with you anymore
Come....
My son


Bambi Mom Dies :(

 野良猫も雌猫が子育てし、雄猫は外に出て縄張りを守るが、ときには子猫とじゃれあいながら戦い方を教えたり、猫パンチでしつけもする。

 人間は理性があるから野生動物と比較しても意味ないかと思いきや、その理性も環境によって育たないことがあることを、「クリミナル・マインド」のドクタースペンサーが、ある凶悪犯のプロファイリングの結果の中で語っている。

連続殺人犯の53%は家族に何らかの精神疾患がある。
両親ともに精神疾患がある場合、子供に当たり散らす、子を殴る、夫婦で殴り合うなど、暴力が愛情表現となる。

辺緑系の視床下部は脳の最も原始的な部位で人の欲に関わっている。赤ちゃんが食べ物や愛情を求めて泣くのはその部分の働きだ。

母親との良好な関係は視床下部に作用し、子供の脳は健康的な感情表現を学ぶ。

殺人犯の視床下部の働きは原始的なまま。欲望を制御できずサディストとなる。

  子供の虐待で逮捕された親が「しつけ」というのもまさにそうである。暴力が愛情表現だから、本人にとって愛情たっぷりの「暴力」となる。暴力だけに限らず、ネグレクトや、薬物などの依存などもあてはまるのだろう。

 母方の家系も毒母系。私が幼稚園児だったころに50代で亡くなった祖母の印象は優しい印象しかない。数えるほどしか接触がなかったのもあるし、周囲の大人たちにそう思い込まされていたのかもしれない。母や叔母たちが、高齢になり少しずつ真実の言葉がこぼれてくるのを聞くと、毒母の要因がわかってきた。

 祖母シヅは米問屋に生まれ、裕福な家庭で育った。シヅの他に弟が一人。身の回りの世話は乳母や家政婦で、シヅの母親は家業に忙しく、父親は仕事の傍ら、妾を囲い、和菓子屋を持たせていた。明治時代、地元の豪農、豪商の男たちは甲斐性の一つとばかりに妾を囲うのは珍しくなかったが、シヅの父親の場合、妾が先に子供を産んでしまったのだ。この状況から曾祖母の夫婦仲が想像できる。

 シヅと弟はこの腹違いの姉と仲が良かった。私の母の出産にも立ち会い、その後もその和菓子屋に私をよく連れていった。母はそのころから「おばあちゃんとは腹違いの姉妹、おかあさんが違うのよ」と教えてくれたが、子供の私には意味不明だった。

 自分の子供を妾の家に出入りさせることについて、シヅの母親はなんとも思わなかったのだろうか。広い心の持ち主なのか、それとも全く無関心なのか。

 母がシヅの実家にしょっちゅう遊びに行っていた話をよくするが、登場するのはシヅの父親と弟だけで、シヅの母親、つまり母にとっての「おばあさん」の話が出たことがない。私にとって曾祖母になるのだが、子供のころから、母に曾祖母の名前を聞くたび違う名前が出てくる。家政婦や雇用人がいたから混在した記憶なのか、名称も「おばさん」と呼んでいたらしく、曾祖母の存在感が母にとって希薄なのには驚く。

 そんな環境で育ったシヅは女子師範学校に通って教職を得て、私の祖父、文雄と結婚する。私の母を筆頭に5人の子供を産み、母を含めた3人までが乳母育ち。4人目のK叔母(「自分のついた嘘を真実だと思い込む人 - 鈴の本箱」で登場したK叔母)と末っ子の叔母が、シヅが自分の手で育てた二人である。

 乳母育ちの3人と祖母育ちの2人の違いは、音楽面に出ている。母を含めた3人は音楽は好きな方だ。歌謡曲文部省唱歌など流れてくると口ずさむし、母はミュージカルも好きだ。一方、祖母育ちの叔母二人は歌謡曲など「くだらない」とこき下ろす。親戚が集まった席でカラオケを設けても絶対に歌わない。そして辛辣な批評を一人一人に浴びせる。叔母たちの娘は音楽教室に通ったが、それはママ友の社交上のものであり、子供のためではないため、長続きはしなかった。

 母方の家系に特徴的なのは、金を稼ぐことと学業を重視する一方でそのための投資(教育費)は出し渋る。家事などの労働に価値を見出せないところがあり、職業差別もある。想像力を「妄想」と呼び、嘲笑する傾向があり、彼ら自身も想像力がほぼ皆無なので思いやりがなく、相手の立場で考えることができない。また家族の概念がなく、家族の看病や介護をすることを嫌い、されることは当然と受ける。その矛盾を指摘すると「恩着せがましい」と怒る。家族間で「私のもの」「あなたのもの」と線引きしたがるので、物事の共有がむずかしく、そして共感も得られない。

 祖母シヅは戦後に教職を離れているので、戦後の教育改革内容を知らない。そのため、家庭内での教育は戦時中の軍国教育が息づいている。

 この影響は高齢になった母親に最近よく出てくるようになった。母親は寝坊に異常なほどの罪悪感を感じる。トイレに朝方おきて、また寝てしまい8時に起きたとする。すると、「4時に起きて顔も洗って、ご飯を炊いたけど、寒いしヒーターをつけると電気代がかかるから、6時まで布団に入ろうと思ったら寝過ごしてしまった。でも7時頃からウトウトしながら起きてた」みたいな言い訳がはじまる。「いいじゃない、予定がない日は寝坊したって、なんの問題もないじゃない」と言うと、「でも...」とつづく。なぜ、そこまで気にするのか問いただしたことがある。すると、シヅは母がうたた寝や寝坊するたびに「目が腐る」とよく怒ったという。よほどキツク怒ったのだろう。「目を閉じて腐るわけないでしょ。医学的根拠がないんだから、気にしないこと!予定もないのに朝4時に起きたってしょうがないでしょ!」とそのたびに私もイラつく。

 末っ子の叔母が生前話してくれたエピソードにも毒母ぶりが見られる。K叔母が修学旅行当日、始発電車の出発駅ホームにはシヅをはじめ多くの父兄が見送りにきていた。各クラスの点呼をとっていざ乗車、というときに、K叔母が卒倒した。教職を離れたとはいえ、地元で教師をしていたシヅなので「先生の娘さんが倒れた」と現場は大騒ぎ。「長旅は無理ですな」と引率の先生方に言われ、K叔母を残して一行は出発。駅長室に運ばれたK叔母が気がついたときには不機嫌なシヅだけが立っていた。

 朝食を終えた末っ子の叔母はすでに仕事にでた父親の食器も洗い終えて、いざ学校へというところでシヅが帰ってきた。帰りに和菓子屋に寄ると聞いていたので、「ずいぶん早かったのね」と声をかけたら「知らん!!」と玄関に入ったとたん、K叔母のボストンバックをたたきつけた。あれ?と思ってしばらくするとK叔母が真っ青な顔で泣きながら帰ってきたという。

 娘が倒れたという状況に、シヅの脳内では「娘の心配」より「自分のメンツ」が優先されてしまったのだ。母性の欠如なのか、体調の悪い状況や修学旅行に行けなかった娘の気持ちが思いやれない。

 そのK叔母も同じことを繰り返している。娘のS子が現在実家に戻っている。しかも病気(ガン)を抱えてである。S子の婚活から結婚生活までK叔母の干渉は異常であったので、出戻るのも無理はない(というか、相手もよくがまんしたと思っている)。

 S子はガンの他に糖尿病も抱えている。二人目の妊娠中に高血糖が指摘され、無事に生まれたものの、母体のS子は一向に痩せることなく3桁の大台に。減量と運動を医者から言われても、めまいや動悸の自覚症状があっても、K叔母は太っているのは親戚の誰それに似ているからだの、どこそこの血筋だの遺伝だのと言いだし、S子は母親の言葉を鵜呑みするばかりで、主体的な行動は一つもとれないままだった。ガンが見つかり手術を終え、幸い転移はないものの、医療費は安くない。しかし、K叔母の夫は地銀で支店長を務め、退職後も天下りで75歳まで働いた裕福な年金者であるので、S子の面倒を見るのは楽勝だろうと思っていた。1年が過ぎた最近、K叔母が実家の叔父にとんでもないことを言ってのけた。「再発しても手術や入院はさせないつもり。もう、お金ばっかりかかってやんなっちゃう。」経済的に困るというより病気の娘にお金をかけたくないということである。祖母シヅ同様、病気の娘の気持ちが思いやれない。負の連鎖がここにある。

 母もまた、家族が病気になると不機嫌になる。今でも母は私が難病になったと伝えたときも迷惑そうな顔を見せ、相変わらずである。子供の頃、私は父親に似て胃腸が弱く、そのたびに父親の家系までもがこき下ろされた。当然、父が母を戒める、そんな母のご機嫌をとるために兄が「お前のせいだ」と体調の悪い私に精神的パンチを食らわす。父が入院したときも、入退院から付き添いは私がほとんどで、母は仕事を理由に数えるほどしかなく、兄は無関心なままだった。危篤と言われた最後の晩も私一人で付き添い、父を不憫に思った。翌朝、母がやっと来たが、兄は来ない。昼過ぎに息を引き取った父に涙する母をみて「よく泣けるわね、しらじらしい」と思ってしまい、そのときから私の中で母と兄に対する見方が変わってしまった。そして私は天涯孤独となったと悟った。

 そんな兄も結婚して家庭を持ち、息子たちが病気やケガをするとたちまち不機嫌になる。負の連鎖である。

 これらを踏まえて、晩年の祖母の姿に思い出すと、子供の頃に「?」と感じたことがわかってくる。晩年、祖母は下顎がんになり、昭和40年代では治療するには大学病院の放射線治療しかなかった。大学病院での治療を拒んだ祖母は、行きつけの病院で過ごした。

 疑問1「どうして大学病院に行かないんだろう」

 答え:遠く離れた病院に家族が付き添ってくれそうもない。なぜなら自分が病人に対して厳しい態度だったから。

 決め手になる治療もなく入退院を繰り返し、がんは進行していく。私は自宅療養していた祖母の姿を鮮明に覚えている。二間つづきの和室に布団が敷いてあり、その横に小さな文机、その上に鏡がおいてあった。祖母は起き上がると、顎下から首にかけて覆っている大きなガーゼをはずす。顎から首にかけて赤黒くぽっかりと子供のコブシぐらいの大きな穴があいていた。子供の私でもその赤黒さは病気なんだとわかるほどである。そこを棒に脱脂綿を巻き付けてたっぷりの薬をふくませて、鏡をのぞきながらそっと塗っていた。そのとき、母も兄も祖父も叔父もその場に誰もいないのだ。

 疑問2「どうして誰もいないのだろう」

 答え:祖母がケガや病気を忌み嫌い、家族の看病や介護の仕事はお金にならない汚れ作業とみていたことを、彼らが受け継いでいるから。

 そして最後の入院。母と一緒に病室に入った。祖母の顔には頭と顎に包帯、そして首にも包帯がまかれていた。かすかに開く口から見える歯はボロボロで、声もあまり出ない。母と祖母の会話は覚えていない。それが最後に見た祖母の姿だった。その後、父が見舞いに行ったとき、祖母は当時まだ看護学生だった末っ子の叔母のことを頼んだという。義理固い父は末っ子の叔母が看護師試験を受けるときも会場まで案内し、結婚するときも何かと世話をしたが、当の叔母は世話になりながらもなぜか父を嫌っていた。

 疑問3「祖父や叔父がいるのになぜ父に頼むのだろう」

 答え:家族の面倒をみることを叔父に教えなかったから(家族の概念がないから)。祖父との夫婦の信頼関係がないから。父の義理固さと経済力を利用したかったから。 

  「自分のしたことは自分に返る。」これが祖母から学んだことである。

 

 母子の関係が人格形成ならば、父子の関係はどうなのか。

 同著者の『父という病』

(051)父という病 (ポプラ新書)

 

 父子の関係では父親は社会的役割が大きい。

 著者は生物の生育過程において、肉体的な結びつきが強い母親の役割が圧倒的に大きいが、その結びつきが薄いからこそ、心理的、社会的な多様な役割が父親にあるという。本来、家庭においては父親、母親、子供の三角関係で人間関係の基礎を学ぶ。母子の1対1が強すぎると父の役割が果たせない。

  母親が父親の悪口を子供に言い続けると「洗脳」され、子供は父親を嫌う。でもそれは逆らえないだけで、本当に父親を嫌っているわけではないのである。しかし、父親はそうとも知らず、親子の三角関係から遠のいてしまうと、その刷り込まれた父への否定感情が続いて、その子の異性関係や職場関係にも影響するという。

 兄は母からの洗脳を受けている。父に対する反抗的な態度は思春期になってひどくなり、加えて父が出張が増え、単身赴任になってから兄は情緒不安定となっていた。母は父に相談する様子がなかったので、私がたびたび父に手紙を書いて様子を知らせた。高校の時にタバコを覚え、そのことを知らせたとき、父が不意打ちをかけて帰ってきた。音楽を大音量で聴いていた兄は父に気づかず、部屋でこっそりタバコをふかしていたところに、父親がバーンとドアを開けた。兄はこおりついたまま。目はすでに涙目である。八方にらみの父の眼光ビームが数秒間放たれ、

 「タバコを吸うなら、俺のまえで堂々と吸え!」と一喝してドアを閉めた。

 その日の夕飯はお通夜のようだった(笑)。父は私が手紙で知らせたことを母に伏せた。「本社で緊急会議があって招集された」と話した。兄はその後、父親の前でビビりながらたばこを1本吸ってすごすご退散。それからはほとんど吸わなくなり、父への反抗的な態度も収まった。

父親の場合、特に子供が3、4歳から社会に出るまでの関わり方こそが最も重要である。

  保育園や幼稚園に入るころ、子供は家庭以外のコミュニティを知り、そこでルール、道徳を学んでいく。子供が困ったときに手を差し伸べる心理的な安息地になれるかどうか。それには父と子が母親を取り合うこともあるだろうし、その上で子供が両親の関係を尊重して自ら去るような、依存とはまた違う絆を努力して築くことも大事である。

血だけでは絆にはならないので、ひたすら努力して築くしかない

と著者は語る。

 

 私はシングルで子供もいないため、子育てに関する負の連鎖はおきないだろう。ただ自分の中にまとわりつく呪縛を断ち切るには、「親の失敗を繰り返さない」につきると思う。

 母が高齢になり介護する側になった今、子供の頃に病気だった私に優しくなかった母の姿がフラッシュバックし、怒りと苛立ちが沸き起こる。これが本当にキツイ。薬の副作用もあってイライラもエスカレートし、誰もいないところで、皿割ったり、枕を踏んづけたり、スリッパを壁になげつけたりと過激になっていく自分が、いつか壊れてしまうのではないかと思ったこともある。

 いくつかの関連著書を読み漁っていくうちに、「いけない、これでは彼らと同じではないか」と気づくようになった。

 美輪明宏の言葉。

嫌な思いをすると、やり返したくなるもの。でも、難しいけれども、優しさでやり過ごせば、自分が気持ちいいのです。自分の方が大人物に思えますから。

 「私は彼らとは違う」と思うだけで、なんとなく見えない敵に勝てる気がする。それだけでも希望かな。

 

 (ウルトラ長文駄文を、最期まで読んでいただき、ありがとうございました)