鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

沖で待つ

 『芥川賞の謎を解く』の巻末にある過去の候補者と受賞者の一覧が見ながら、女性の受賞作品はまだどれも読んだことがないことに気がつきました。アマゾンで芥川賞作品を検索しながら選んだのがこの一冊。

 絲山秋子の『沖で待つ』。

 『勤労会社の日』、『みなみのしまのぶんたろう』も収録されています。

沖で待つ (文春文庫)

 アマゾンで立ち読みしたのは『勤労感謝の日』の冒頭。無職の「私」がご機嫌斜めな口調でまくしたてて、つい先を読みたくなります。主人公は三十代半ば、無職でなかなか次が見つからない、見合いをすれば不細工な男の「上から目線」な態度にムカつき、そんなムカつく男から過去にムカついた上司を思い出し、その上司のせいで現在無職という流れが頭の中でめぐるあたりはおかしくもあり、共感がもてました。

バブル入社といっても女の子は枠が少なかったから内定を取るのに苦労した。楽勝は男の子だけだった。もちろん今の学生はもっとキツい。仕事がない。我々の世代には苦労を語る資格は与えられていない。

 私もバブル期とはいえ、決して楽勝で入社できたわけではありませんでした。そのころ、団塊世代の上司から「バブル期入社は苦労しらず」とか「お前らは俺たちの引いたレールに上に乗っかってるだけ」と言われたことがあります。そのときは会社帰りに同期入社の子たちと居酒屋で「ふざけんじゃないわよ、あいつらだって中間管理職の立場で接待だのなんだので会社の金使ってずいぶん楽しい思いをしたじゃないの。レールを引いたと言えるのは高度成長期の社長や常務たちであって、あいつらじゃないしぃ〜」と毒吐きあったものです。そんなことを思い出させてくれる作品でした。

 

 芥川賞受賞作の『沖で待つ』は、「です、ます調」で語られるストーリーで、同期入社の太っちゃんと「私」の同僚&友情物語といった感じでしょうか。気が合う太っちゃんとは仕事では同志として固い友情があって、恋愛関係にならないから、どちらか先に死んだときには、残ったほうが「家族にも恋人にも言えない秘密」を隠蔽する約束ができたのかもしれません。仕事を通じて育んだ友情はどちらかがその職場を辞めてしまうと薄れてしまうのですが、亡くなるというのは、逆にそのつながりの深さを実感するものかもしれません。

 社会人になったばかりのときは、仕事以外に、会社の組織や取引先の関係、また転勤などの環境変化など慣れないことづくめで、焦りや不安を携えている中で太っちゃんのような同期の仲間の存在は救われます。「私」は当時、数少ない「女性総合職」。そこには「一般職(事務職)」と「総合職」の女性同士の見えない溝があります。

 私は誰とでもそれなりに仲良くやっていたのですが、会社で苦手な場所が二ヶ所あって、それは更衣室と給湯室でした。事務職の女性たちはみんな感じよく接してくれたのですが、でもやはり私はよそ者でした。

 今は派遣労働や非正規雇用など、短期間で人が入れ替わる時代。そんな職場で働く人たちにとって太っちゃんと「私」のような関係を築くのは難しいかもしれません。

 

 『みなみのしまのぶんたろう』は漢字なしのオールひらがな&カタカナで書かれているので、最初はびっくりしました。先の二編を読み終えてすぐに読むと、漢字のない文面に読みずらさを感じました。これはしばらく間をおいたほうがいいと思って、今朝、早起きしたついでに、洗濯機を回している時間に読んだらさらさらと読めました。

 「しいはらぶんたろう」。この主人公、なぜか私の中で石原慎太郎とイメージがダブりました。信頼も厚くやり手でありながら、結構な癇癪もちで、だけどどこか抜けてる猫舌のぶんたろう。登場人物が少ないのですが、ぶんたろうだけで十分楽しめる作品でした。