鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

沢木興道聞き書き

 Twitterの禅botでよく引用されている澤木興道老師の言葉が印象深く、どんな方なのかを知りたくて選んだ一冊。

 

酒井得元著『沢木興道聞き書き

沢木興道聞き書き (講談社学術文庫)

 講談社学術文庫は、『正法眼蔵』で挫折したのもあって読み切れるか心配でしたが、この本は口語体で書かれていて、沢木老師が直接話されているような感じがあって読みやすかったです。

 内容はタイトル通り、禅者としての沢木老師の生涯を自ら語ったもの。

 老師の幼少期は恵まれた環境とは言えませんでした。明治13年に生まれ、実母との死別が5歳、実父との死別が8歳、兄弟姉妹4人はそれぞれ奉公や親戚に預けられ一家離散。老師は父方の叔母に預けられ、そこの養子となります。しかし、その叔母の夫も実父が無くなって半年後になくなり、その後、親戚の世話によって提灯屋の沢木文吉が養父となります。幼いときに相次いで保護者を亡くした老師は、この先誰が食わせてくれるのかと考えると目の前が真っ暗になったといいます。

 ようやく落ち着いた先の沢木の家では博打が開帳されているという状況でした。養母は娼婦の古手、養父文吉の11人目の妻だったといいます。近くに奉公していた姉がいたというものの、8歳にしてこの環境はかなり過酷。

 9歳のとき、近所の女郎屋で五十男が孫のような若い娼妓を買って、その場で急死した騒ぎがあり、その場を覗き見た光景は、死んだ男の妻らしき人が泣きながら「こんなところで死ぬなんて...。世間の外聞もあるものを」と恨みを言っている様子でした。そのとき老師は、「人間は内緒ごとはできんぞ」と深刻に感じたそうです。このおやじは家を出るとき、まさか妻に「娼妓を買いにいってくる」と言うはずはなく、何か用事があるような顔して出かけたにちがいない。そしてこの男の葬式は面目丸つぶれのものに相違ないというわけです。葬式を終えても、その後一周忌、三周忌と法事のたびに、女郎屋の二階で死んだことを思い出され、再び面目ない思いをするのです。そう考えると人間は内緒ごとはいつ表にさらされ、世の中に大恥をさらすことになるかわからないと思ったそうです。

 生活環境に恵まれなかった老師ですが、近所の表具屋の森田宗七と知り合ったことで学びを得ます。清貧な暮らしをしていた宗七から「金や名誉より、もっと大切なものがこの世にある」と教えられた老師は、人生はもっと「清らかなもの」でなくてはならないと思ったのです。その頃、お寺へよく説教を聞きに行き、やがて坊さんになって道を求める心が芽生えてきます。

 そして出家し永平寺へ、その後熊本の宗心寺の住職沢田興法について得度。21歳のときに出征し、重傷を負って帰郷するも、養母は狂ってしまうわ、養父はお金を無心するわで再び出征。27歳で引き揚げて、仏門に戻ります。僧侶として着実に道を求めていた老師にたびたび金を無心する養父にはずいぶんと手を焼いたようですが、それでも借金を肩代わりしたりして最後まで面倒をみます。そんな養父がいたからこそ自分が堕落することができなかったのだと老師は言います。

 養父とはいえ、今でいう毒父を反面教師にしたからこそ堕落しなかったというのは感慨深いものがあります。以前、美輪明宏が何かのインタビューで、花街で育った自分は、幼い頃から男女の愛憎をうんざりするほど見てきたし、戦後の混乱時に上京し、混沌とした状況で様々な人間模様を見てきたせいか、美しいものを求めたくなると言っていたのが印象的でした。

 「ああなりたくない」「こうなりたくない」という意志があって、そのためには自分のすべきことは何かを考えてきたように思います。環境に流されずに意志を通すのは簡単ではないと思いますし、自分がいつも正しいとは限らないわけです。そんな葛藤を繰り返しながら道を求めていくのでしょうね。

 それは最下等、最下品の現実生活と、無上の道を求める心との矛盾であった。それに世の中には、もっと明るく正しい道が必ずなくてはならぬという求道の悩みでもあった。しかし、こんな矛盾や悩みの相克の中にあって、自分はただ泣きべそをかいてばかりいたのではない。ますます元気で、いよいよ強くなっていったのである。

 沢木老師の生涯に触れて感じたことは、老師は実に人間くさく正直な方だということです。修業時代の若い頃はやんちゃな部分も多く、失敗も多いのですが、そんな自分をごまかさず素直に向き合って反省する姿に好感が持てました。一切生活を追い求めることをせず、「真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」を基本に寺を持たず、雲水のごとく行脚僧でしたが、晩年、教壇に立ち名誉教授となります。

 経済生活を追い求めたら道は求められないと決まっている以上、仏道の行者にとっては、宗門の規則や資格というようなものは別に益するところはあるまい。これらのものは仏道のことでなくて、人間娑婆世界の生活上のことである。仏道の行者が修道を捨てて娑婆と関係をもとうとするとき、規則と資格によらなければならなくなるのである。

 娑婆世界のことは、そのときどきのご都合次第だけのことであるから、猫の眼のように変わるのが当たり前である。真実に生きんとするものは、こちらからその都度これに応ずるには及ばない。次から次へと変わってゆくものを追っかけて一生ふらふらしていたのでは、それこそ一生を空しくしてしまうものである。

  名誉教授という肩書に溺れることなく、むしろ「雇われ者」になってしまった自分と向き合い問い続けている姿に頭が下がります。

 自らの体験と様々な行を重ねた老師のお話は、おもしろくもあり、切なくもあり、驚きもありで、おそらく今後も再読するであろう一冊となりました。