鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

来年の日記帳

 2023年の手帳が出回っている。カレンダー、日記帳も年々発売が早くなっていて、100均すら8月下旬あたりから目にするようになった。クリスマスケーキやおせち料理に早割があるのに、手帳や日記帳に早割がないのは残念である。

 さて、現在5年目に突入した5年日記。年々、書くことが減っていく。そして字が乱れていく。やがて、何日も書かない日が増え、あとで振り返っても記憶がなく、買い物だの洗濯だの、書きつける必要もないことでとりあえず空白をうめていくようになってしまった。これで2冊目、つまり10年書いたことになる。

 来年、新しい日記を買おうかどうか迷っている。理由は書くことがないといえばない。生活ルーティンをあえて書く必要もないし、その日の気分を書いたところでグチが多くなりそうだし....。

 10年日記を書いて気づいたのは、私はあまり過去の記述を読まないということである。過去の出来事に興味がないのかもしれない。自分の愚痴を振り返る気もなく、かといって、未婚の私が死んだところで読む家族もいない。

 父は生前、数十年にかけて日記をつけていた。死後、数年ほど家においてあったが、読んだのは私だけ。

 父の現役時代は仕事のことばかりで、家族についてはほとんど書かれていなかった。せいぜい「娘、高校合格」「息子、大学合格」程度で、業務日誌に近い。リタイア後、がんの闘病生活に入っても業務日誌的で「外科外来 所見変わらず」とか「入院 午前、検査 午後、娘がくる」。自宅療養中は「今日も為すこともなく1日が終わる」と書いていたのを思い出した。日常ルーティン以外に特筆するものがなければ無理に書かなくてよいということなのだろう。

 そこで、来年からは父のように、業務日誌的な内容に切り替えようかと思う。備忘録もかねて....たとえば、掃除でも日常的にはやらないところ(フードレンジの手入れとか、押し入れの整理とか)だけ書くとか。そうすれば、「あそこを掃除したのはいつだっけ」とか日常の家事も振り返ることができるのでは....という未来の自分に期待をし、新しい日記帳探しをする。

 今まで5年区切りで選んでいたが、来年は10年日記に挑戦しようかと考えている。何かのレビューで「自分の寿命があと10年と想定して買いました」と書かれていて、それはよいアイディアだと思った。来年還暦の私は父が亡くなった年に近づいている。私が10年生きられるかどうかなど誰もわからない。ならば余命10年と設定すれば日々の生活を怠惰なく過ごせるのではないかという妄想にふけりながら、10年日記を検索する。

 アピカの5年日記はA5サイズ。ちょっと大きいと思っていて、次回はB6が欲しいとお思っていたがほとんどのメーカーがB5である。5年でA5なのに10年でB6というのは無茶ぶりかもしれない。

 とりあえずB6で検索したら、ミドリ日記がヒットした。本体のサイズは縦185×横117×厚さ25mmで366ページ。この厚みはちょっとした辞書レベル。きちんとした製本スタイルなのでフラットに開けないのか、書きにくいというレビューもあり、やっぱり無理そう。A5の検索に戻る。

 あれこれ見た挙句、これがいいかもと思ったのが、書店でよく見かける高橋手帳。これは日記帳ではなく卓上日誌である。来年から目指しているのは「日記」ではなく「日誌」だからまさにうってつけに思えた。なんどか書店で手に取ったことがあるが、ソフトカバーで手帳っぽい感触でフラットに開けて書きやすそうだった。1日3行というのもいい。

 売れきれる心配がないので、もう少し検討するが、何よりも自分の気が変わらないかが心配である。(笑)

 それにしても、手帳や日記は選ぶときはどうしてこうもテンションがあがるのだろうか。数か月先の自分の未来に大いなる理想が描けるからだろうか。しかし、それらを手に入れて新しい年を迎えてからは、たとえそれが理想と大きくかけ離れていても、現実に起きたことを書き記していかなければならないのだ。日記は自分の現実と対峙する大切なツールかもしれない。