鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

母の誕生日

 今月24日、母は92歳の誕生日を迎えた。病院での誕生日だが、無事に迎えられてよかった。

 年末から年明けまで2週間ほど面会に行かなかった。

 年明け最初の面会は10日。病院内で風邪やらインフルやらが流行ってしまい、母は2日ほど発熱したらしい。病院から何も連絡はなかったが、大事に至らなかったようだ。

 面会時に「風邪ひいて、熱が38度も出たけど、薬でようやく下がったの」と母自身が話した。

 「今、流行っているからね。ひどくならなくてよかったね」とここまでは普通に会話できた。ところがその後、

 「いいとき、来てくれたわ。M子ちゃん(兄嫁)と会わずに来れたのね」と母。

 兄には母の入院先は伝えていないので、来るわけはない。

 「M子ちゃん?来たの?」

 「そうよ、あなたと入れ違いよ」

 「ああ、看護師さんよ、それは。」

 「看護師さん?」

 「ここ、病院だよ?」

 「だって、病院から帰ってきたんだよ。あなたは仕事があるからM子ちゃんが....」

 おそらく、発熱した母を急性期の病院で診察し、その後戻ってきたのだろう。

 「診察からベッドに戻ってきたのを勘違いしたんじゃない?」と言うと、

 「ああ、なんか風邪薬飲んだら、わけわかんなくなちゃったわ。ああ、そうかここは病院か」

 「そうよ、病院だよ。完全に風邪を治さないと、また心不全起こしちゃうから大事にしないとね」

 面会後、看護師さんにせん妄があったかたずねたら、数日間あったらしい。

 転院前の病院のせん妄に比べたらずっとましなので、看護師さんたちのケアがよかったのだろう。

 

 誕生日の面会は、せん妄がありませんようにと祈りながら向かった。人工透析を受けた日の午後はウトウトしている日が多いが、その日は起きていた。

 「あら、来てくれたの?寒かったでしょ?」といつもの様子。

 「今日、誕生日でしょ?お誕生日おめでとうね。ハッピーバースデートゥユーだね」と言うと、顔が明るくなり笑顔になった。せん妄がなくホッとする。

 「そうそう、N子おばちゃんから電話があって、誕生日おめでとうって伝えてくれって。それから、老人会で一緒だったHさんがお母さんによろしくって言ってたわ」と伝えると

 「そう、そうだったの。こうして93歳を迎えられるのはありがたいねぇ」とうれしそうだった。

  「92歳だよ。93歳は来年。相変わらずせっかちだね」というと、笑っていた。

 実はN子おばさんやHさんの話は嘘である。私は母が80歳後半になったあたりから、母の隠れた承認欲求に気づいた。

 母の育った環境を考えれば無理もない状況で、何かと虐げられて育ってきたゆえに、ちょっとした誉め言葉に有頂天になってしまい、人に利用されてしまうこともあった。

 面会に行くたびに、兄夫婦や母の妹たちから何か連絡があったか必ず聞いてくる。転院前の病院で入院したことを伝えても兄は来ないし、叔母たちも高齢で見舞いなど来なかった。母にしてみれば、いろいろ世話してあげた人たちから何も連絡がないのが寂しいのである。

 病院で誕生日を迎える母に、あえて厳しい現実を伝える必要はないし、嘘も方便である。喜んでいるのだから、それでいいと思った。

 ご機嫌な母はめずらしくこんなことを言った。

 「私も歳だし、いらないもの片づけないとね。私がいなくなったらあなたは一人になるんだから、小さい間取りに引っ越したほうがいいから、今から片づけないとね」

 引っ越すってお金ないんですけど....と思いながら、片付けに気持ちが向いてるので、確認をしたかった。

 「ああ、衣類とかね、結構あるもんね。」

 「タンスも片づけないと。昔のタンスは場所ばかりとるから。」

 「着物とか?どうする?」

 「もう着ないわね。あなたに任せるから片付けていいよ」

 「着物捨てていいの?ほんとに?」

 「いいっていったでしょ。私が元気なうちに片づけた方が、いろいろ言われなくて済むから。ね、今から片づけないとどんどん歳とって片づけるの大変になるんだから、任せるからたのむね」

 去年、自分の着物を捨てたが、母のは少し残してある。母が元気なうちに処分するというのは、母の意志で捨てたことになるからだろう。そう言ってくれたのは本当にありがたい。

 今年は自分の物も含めて、断捨離に励もう。母も私も次のステージに向かっている、そんな印象を持った母の誕生日だった。