鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

ジェイン・エア 7(ヘレンとの別れ)

 

ジェイン・エア(上) (岩波文庫)
 

 ローウッドでの生活も悪くはないと思えるようになったころには、春が近づき、身を切るような寒さが和らいでいました。

 そんな季節に、ローウッド養育院にチフスが広がり、十分な食事と身を労わるような住環境とは程遠い生活をしている生徒たちの半数近くが感染。先生たちは看護や自宅に戻る生徒たちの世話や準備に追われ、ジェインや健康な生徒たちは自由な時間が与えられました。学校は病院と化し、ブロックルハースト氏とその家族は感染を避け寄り付かず、ケチな食事を出していた管理主任も逃げ出しため、後任にきた看護師長は気前よく食事を支給し、食べる生徒の数も減ったため、ジェインたちの食事は十分になりました。

 ジェインはメアリ・アン・ウィルソンという友達ができ、彼女と森の中で一緒に楽しく過ごします。一緒にいて楽しい相手でしたが、ヘレンに劣ることは確かでした。以前から咳をしていたヘレンを気にしていたジェインはいずれ治ると思っていましたが、容体は悪くなっていました。

 6月のはじめ、森から帰ってきたジェインは医者のベイツ先生を見送る看護師に駆け寄り、ヘレンのことをたずねると、とても悪い状態であると聞き、残された日がわずかであるとわかったジェインはヘレンに会いにいきます。ヘレンはテンプル校長の部屋に移されていて、夜中にジェインは向かいます。看護婦は椅子に座って寝ており、テンプル校長は高熱の出た生徒のところに呼ばれていたところでした。

 ここからジェインとヘレンの最後の会話が交わされますが、ヘレンの死を覚悟した言葉が切ないです(涙)

 ジェインがヘレンに会いにきたことを告げると、

 「じゃ、さよならを言いに来てくれたのね。ちょうど間に合ったみたい」
 「どこかに行くの、ヘレン?おうちに帰るの?」
 「ええ、終の住処へ。最後の家へね」
 「いやよ、いやよ、ヘレン」

 泣きそうになっているジェインが裸足であることに気づいたヘレンは、ジェインをベッドに招きます。

 (1996年の映画版:瀕死のヘレン(左)、髪を切られたから悲愴感がハンパない)
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 二人は互いに腕を回して寄り添います。ヘレンは、

 「わたし、とっても幸せよ、ジェイン。わたしが死んだと聞いても、悲しまないでね。悲しむことなんか、何もないんですもの。人はみんな、いつかは死ぬんだし、それにわたしを連れ去ろうとしている病気はね、苦しくないのよ。優しくゆるやかに進むの。だから、心が安らかよ。死んでも嘆き悲しむ人は誰もいないしね。父はいるけど、再婚したところだから、わたしがいなくなっても寂しくないはず。早死にするといろいろの苦しみを知らなくてすむのよ。わたしには上手に世の中をわたる素質や才能がないから、きっとまごまごするだけだったと思うわ」

 この言葉から、ヘレンも愛情に恵まれた家庭に育ったように思えませんでした。前述しましたが、ジェインと対照的なのはそうした状況を受け入れて、自ら幸せになることを追求してきたわけで、その支えが信仰だったのです。ヘレンもまたジェインと出会えたことはなによりも救いだったと思います。

 ヘレンが神様のところへいくと聞いたジェインは、自分も死んだらヘレンに会えるのかを熱心にたずねます。

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 ヘレンは幸せの世界にジェインもきっと来ると答えますが、信仰がよくわからないジェインには未知の世界です。今はヘレンのそばにいたい、失いたくないという気持ちしかないジェインはヘレンの首に顔を押し付けます。

 (2011年 右ジェイン、左ヘレン)
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 (1943年 右側のヘレン(エリザベス・テーラー)の方が、ジェインより健康そう...)
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 死を覚悟し、信仰も厚いヘレンですが、一人で逝く寂しさがのぞきます。

 「なんて気持ちがいいんでしょう!さっきの咳でちょっと疲れちゃった。ねむれそうな気がする。でも、行かないでね。ジェイン。そばにいてほしいの
 「ここにいるわ、大事なヘレン。誰が連れにきたって離れないからね」
 「寒くない?」
 「ええ」
 「おやすみ、ジェイン」
 「おやすみ、ヘレン」

 翌朝、ヘレンは神に召されます。ジェインは寝ている間に寮に運ばれたため、ヘレンの死を後日テンプル校長から知らされます。ヘレンのお墓は学校の後援者が司祭を務めるブロックルブリッジ教会に建てられるのでした。

 ヘレンはジェインに友情、信頼、尊敬を残してくれたと思います。ヘレンの厚い信仰心はジェインには難しかったかもしれません。私も少女のヘレンがここまで達観していることに驚きました。

 ただ、死期が近づいたとき、全く信仰のなかった人が関心をもつケースはあるように思います。私の叔母が亡くなったとき、その叔母は信仰など全く興味がなく、私がお墓参りするだけで「信仰深いわね」と揶揄する人でした。家族との関係がうまくいかず、闘病中は身の回りの世話に子供たちがたまにきていたようですが、孤独な闘病生活だったと思います。叔母が亡くなった後、遺品の中に瀬戸内寂聴さんの本(説法集)があったと親戚から聞いて、病気が進んでいく中で、寂聴さんの言葉によって死に対する自分の気持ちに折り合いをつけたかったのかなと思いました。

 ジェインがヘレンに聞けず心にとどめた言葉があります。

 「その世界はどこにあるの?本当にあるの?」

 「神様、天国、幸せな世界」は、想像の産物といえばそれまでです。

 現実的にいえば、成績も優秀なのに将来もなく、チフスの蔓延したローウッドで、父親に看取ってもらえない惨めなヘレン。現実逃避のためのしがみついた信仰心と見るかもしれません。

 しかし、その世界があると信じていたヘレンは心乱されることはなく、安らかに眠ることができたのですから、それは「幸せ」といえると思います。

 なにも宗教にこだわることなく、想像の世界に幸せがあると信じることは、自分の想像力が自分の心を救っているともいえると思います。想像力が豊かな人は幸せな人かもしれません。そんな想像力をずっと育んでいきたいものです。

 

 

<追記>
 1816年4月21日は著者シャーロット・ブロンテの誕生日。

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 ウィキによれば、ローウッド養育院のモデルになったのは、1824年8月、姉2人と2歳下の妹エミリーと共に入学したランカシャーのカウアン・ブリッジ校。その学校の施設は環境が劣悪であり、姉2人は寄宿舎の不衛生が原因で結核にかかり1825年に11歳と10歳で亡くなっています。

 父の看病の合間に『ジェーン・エア』を執筆し、1847年10月にカラー・ベルの筆名で刊行。翌年、弟ブランウェルが31歳で、エミリーも30歳で死亡。さらに翌年にはアンも倒れ、29歳で没します。相次いで身内を亡くしたシャーロットは1854年に副牧師のアーサー・ニコルズと結婚、翌年に妊娠中毒症にかかり胎内の子供と共に38歳で亡くなっています。それでも6人姉弟の中では長生きした彼女でした。

 ジェインやヘレンの幼少期の描写に重みを感じるのはこうした背景が影響しているのかもしれませんね。