初めて加藤氏を知ったのは、20代半ばだった。父を亡くし、転職先で知り合った人との恋愛に悩んでいた時期、昼休みに見つけた本だった。
この本の内容は大方忘れているが、読了後、新卒入社した会社で、職場の上司から「デカ・ベビー」と言われたことを思い出した。
割と親しい人だったので、セクハラ・パワハラまがいの意味ではないことは分かっていた。
理由を聞くと「体はデカいけど中身は赤ちゃん」と言われた。「甘えているってことですか?」と「そうだ」という。
仕事の面でいえば、華やかなテーマパークと裏腹に苦労の多い職場だった。おいしいとこどりの女子社員の尻ぬぐいや、繁忙期は必ず多忙なエリアに回されたし、VIP対応はいつも気を遣う国賓ばかり担当で、胃薬が手放せなかった。
また、父親がガンの闘病中で、これから先の不安を抱えていたときだった。家族に頼れないことは子供のころからわかっていたし、父親の病気のことで経済的な不安もあって、自分なりにしっかりやってやらなくてはと必死だった。
それゆえに、その上司の言葉は意外だった。
「私のどこが甘えているんですか?仕事ちゃんとやってますよね?それでも甘えてるんですか?スーパーバイザーたちに迷惑かけてますか?」と躍起になった。
すると、「ほら、すぐムキになる。だからベビーなんだよ」と言われた。
まったく理解できなかった。寛容になれってこと?私のどこが悪いのだろうか?悶々としたままだった。
その答えを見つけたくて、その後も加藤諦三の著書はいくつか読んだ。以前にも書いたが、日本人の著名な先生方が書かれた著書の多くは、分析には長けているが、解決策が得られない。これは私の読解力の問題なのか、それとも解決したければカウンセリングを受けろということなのか、すっきりしないことが多かった。
最近見た、Youtubeでは、解説がわかりやすくなっていた。というより、私の年齢が重なってようやく理解できるようになったのかもしれない。
この動画を見た後、今年出版されたという新書を読みたくなった。
『無理をして生きてきた人』
目次を読む限り、解決策も出されていそうなので、期待して読んだ。
自分の不遇な人生や不幸感を真っ向から受け止める。運命を受け入れる。自分が自分であること。やはり難しい。
20代のときに悶々としていた胸中を以下の言葉が示してくれた。
猫なのに犬として育てられる。猫は猫の本能を否定されている。猫は訓練だけで生きている。猫の足と犬の足は違う。だから猫の生き方は不自然にならざるを得ない。ところがこうして、もともとは猫のような動物を犬として育てるような親は、その不自然になった猫を軽蔑する。「そのままでいいんだ」というような言い方をする。
自分が「そのままで」いられないように育てておいて、「そのままでいいんだ」という。
こういう育てられ方をするとどうしても自分がなんだか訳が分からなくなる。最後には「自分だけが不幸」という感じ方になる。
そして「人の見る目のなさ」の原因もこう指摘する。
自分でない自分を褒めてくれた人が、いい人になってしまう。猫なのに犬と言ってくれた人がいい人になる。逆に猫と言った人を嫌な人と思う。
自分が猫であることを否定されたら、魚が好きではまずい。そこで自分が魚が好きであることが許せない。そうして生きているからいつか人生は行き詰まるのである。
「私らしく生きる」という言葉は世の中にあふれている。でも、「私らしく」とはなんぞや?と聞かれて明快に答えられる人はどれだけいるのだろうか。
本書の最後はこの言葉で締めくくられている。
つらいことがあった時に、現実を受け入れる。そして自分を責めない。
自分を責めていると、前に進めない。
人を責めていると、幸せになれない。
弱く生まれて強くなることが、人間の「賢い生き方」である。
今日は61歳の誕生日。祝ってくれる人はいないが、この本を読んで救われている自分がいる。

