鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

小さなうたがい

 ACジャパンのCMで流れた『こだまでしょうか』で金子みすゞの作品が注目されてからか、かわいい絵本や装丁が施された作品集や詩集が書店に並ぶようになりました。

金子みすゞ童謡全集

 ときどき、詩の一節だけが一人歩きしているときがあります。

 『わたしと小鳥と鈴』

わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない。

 

わたしが体をゆすっても、
きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ。

 

鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい

  この最後の一節「みんな違って みんないい」。どこか槇原敬之の『世界に一つだけの花』的な解釈で紹介されているのを見たことがあって気になっていました。同じ花を比較している歌詞ですが、『わたしと小鳥と鈴』では比較する対象がそれぞれ違いますから、この一節の意味するところも違うのではないかと思うのです。

 金子みすゞの作品を「かわいい」とか「癒し」という言葉に形容されることが多々ありますが、わたしには、心のどこかにポタっと冷たい水が落ちるような寂しさを感じます。

 『小さなうたがい』

あたしひとりが

叱られた。

女のくせにって

しかられた。

 

兄さんばっかし

ほんの子で、

あたしはどっかの

親なし子

 

ほんのおうちは

どこかしら

 初めてこの作品を読んだとき、「ああ、そうなのよね...」と心がうずきました。私もよくこんなふうに言われたからです。父は昭和生まれですが、脳内は明治生まれじゃなかろうかと思うほど男尊女卑なところがあって、平等を訴えても「おんなのくせに」で一蹴されたものでした。性別、体格や体質などの遺伝的なものなど、自分ではどうにもならないことを理由にされてしまう理不尽さは幼いこどもにとってとても辛いものです。

 「あたしはどっかの親なし子」と本気で思わないにしても、親から感じた疎外感によって、そんな思いがよぎる切なさが痛いほど伝わる作品です。

 

 私が金子みすゞに深く興味を持ったのは、偶然見たドラマがきっかけでした。

松たか子主演『明るいほうへ明るいほうへ』

明るいほうへ 明るいほうへ [DVD] 

 母方の祖母は金子みすゞとほぼ同世代。女学校を出て読書好きだったこともあり、家も商売をやっていて育った環境が似ていたこともあって、祖母の姿と重ねったのかもしれません。

 金子みすゞ西條八十に認められながらも、夫の理解が得られず、しかも夫に病気をうつされてしまいます。そして離婚を決意しますが、子供の親権をめぐり死を持って訴えます。この時代の女性たちは結婚で人生が決まるといっても過言ではないかもしれません。

 そんな生涯の中で垣間見れる金子みすゞの秘めた強さや、彼女の穏やかな作品の中に感じる切なさや悲しさについ惹かれてしまうのです。