鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

プリンセス

 ディズニー実写映画『リトル・マーメイド』の主演女優が白人ではないということが物議を醸している。

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 それが人種差別的な意味なのか、それとも原作に忠実ではないという意味なのか、様々な思惑があるようだ。

 ディズニーのアニメ作品で白人以外のプリンセスは、『アラジン』のジャスミン、『ポカホンタス』のポカホンタス先住民族の首長の娘なので、プリンセスと呼べるか微妙)がある。どれもよい作品だと思う。

 朝日新聞記事では、これらの有色人種のプリンセスを白人が演じることはめったにないことから、こういう意識も根底に人種差別があるのではないかという内容だった。

 個人的には原作に忠実な作品を好む。だからといって、ハリー・ベイリーが演じるアリエルに嫌悪感は感じない。アリエルの性格や仕草を大幅に変えたわけでもなく、そこは原作と変わらないわけだから。

 むしろ、違和感を感じるのはアリエル以外のキャストが白人であることだ。アリエルの父親のトリトン王がハピエル・バルデムだし、エリック王子はジョナ・ハウアー=キングである。アジア系やヒスパニック系を入れてもよかった気がする。

 世の中の多くの女の子はプリンセスが好きだろう。豪華で贅沢をつくした宮殿に、毎日きれいにドレス・アップしてくれて、心優しい王と王妃の惜しみない愛情を注がれ、ハンサムな王子と出会うのだ。ディズニー・アニメの世界はそうだ。

 幼稚園から小学校低学年のころ、ディズニー・アニメ「眠れる森の美女」を観に行った子が多かった。うらやましくて親にねだったが、私の母は映画が好きではなかったし、父は王子のキスで目覚めるストーリーが「こんな映画はませた子供になるだけだ」と一蹴。ディズニーの絵本もお姫様系は買ってもらえず、動物系ばかりだ(笑)。

 多くのプリンセス・ストーリーの出会いはすべて小学館の『世界の童話シリーズ』から。アニメと違って挿絵は動かないので、文面から想像するしかない。私の脳内では魔法使いや妖精たちの魔法もキラキラした音は出さないし、歌など歌ってはくれない。シンデレラも、白雪姫も、眠れる森の美女も、インパクトに残るのは意地悪な継母や魔女に苦しめられるシーンである。

 シンデレラが継母や異母姉妹にいじめられるシーンは、どうしてお父さんは知らんぷりなんだろうと自分の父親と重なったりする。

 白雪姫は知らない人からもらった食べ物は食べてはいけないと戒めしか残らない。

 眠れる森の美女は、森の中の隠遁生活の方が安全なのにどうして城に戻るんだろうと理解できなかった。

 そして決定的だったのは、幼稚園から小学校低学年の女子の人間関係から見えたプリンセスになりたがる子の定義である。

 「お姫様ごっこ」をするとき、たいていマウントをとる気の強い女の子が「私がお姫様!あなたはお妃様!あなたは王様!あなたは魔女!」と仕切る。体格のよい私はたいてい「王様」役である(とほほ)。魔女役はというと、やさしくおとなしい女の子がターゲットになる。

 童話の中ではプリンセスは性格もよいのである。魔女役に選ばれた子の方がよっぽど姫役にふさわしいと思いつつも、反論する気など毛頭ない。中には「魔女、やだ~」と泣き出す子もいた。

 この時期の学芸会でもプリンセスになりたがるのはこういったタイプだ。「ママがこの劇のためにドレスを作ってくれたの~」と見せびらかす。ママ友同士でも「うちの子がお姫様役だなんてねぇ、おはずかしいわ」とまんざらでもなさそうに語り、聞き手のママたちは引いている。そんな様子をみて、私はプリンセスになりたがる女の子はすごく気が強くて人を蹴落とすような思いやりのないタイプではないかと思うようになった。

 それから数十年が流れ、この考えは変わらない。一度、同世代の職場の同僚とプリンセスについて話したことがある。彼女は時流に乗りバブル期を享受した人で私とは対照的だった。子供のころはバレエや英会話など教育熱心な家庭だったようで、短大卒業後、CAになり、数年働いたのち、ロスに渡りデザインスクールで何か学び(この辺りははっきりしない)、現地で知り合った会計コンサルタントの今のご主人と出会い、ハワイで挙式を挙げたという方。CA時代の写真を見ると目が違う。ロスに行ってからちょっといじったらしく(目の二重、眉毛とアイラインの入れ墨)、まさにバブルな方だ。

 バレエを習っていたというので、演目の話からプリンセスの話になった。

 「バレエで主役を張れるのはやっぱり美人な子」と彼女は言う
 「容姿端麗ってことね。でも踊りのレベルも大事でしょ?」
 「まあね。でも優先されるのはやっぱり、外見よね」
 「へえ。みんなお姫様になりたいんだね」とポツリというと、血気づいた声で
 「あたりまえじゃない!!女の子はみんなそうよ」
 「そうかな。お姫様って意地悪されたり、気苦労多いじゃない?それなら私は村娘Aでいいわ」と冗談まじりに返したら、
 「信じられない、村娘なんて」という彼女の目は「ま、あなたにお姫様なんてありえないけどね」と語っていた(爆)

 40過ぎてもこの人はお姫様でいたいんだ。そう思った。

 お姫様に魅力を感じない私は女の子の感覚が欠けていたのか?でも「バンビ」や「わんわん物語」で互いに惹かれあうシーンは素敵だなと思える。動物ではだめなのだろうか。
 ベラ・ノッティのシーンは、今みてもロマンチックだと思う。


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 はにかむレディがかわいい。最後のミートボールを勧めるトランプのやさしさに胸キュンになる。トランプは野良犬だから王子扱いにならないのか?それとも、今となってはトランプという名前がよくないのか?トランプに助けられる山の手の飼い犬レディは男を見る目がないのか?

 長年抱いていた「お姫様になりたがる女の子は本当は意地悪なんじゃないか」という疑問に、愛の伝道師・美輪明宏が答えてくれる。

 シンデレラは実は美しくもなんともない卑しい姉たちと同じ考えをした女なのです。
 王子様ということを知らずに恋に落ちたというのなら純粋な気持ちでしょうが、初めから王子を狙っていたわけですから。
 恥ずべき根性の持ち主なのです。
「セレブと結婚したい」などと平気な顔で口にする女と同じです。

 さすが美輪様、鋭いご指摘でございます。