受験シーズンもそろそろ終わりに近づいて、卒業式シーズンを迎えますね。
書店に行くと早くも入学シーズンに向けて小学生向けの辞書や就学前の準備ドリルなどの平置きも目を引きます。桜のモチーフで飾られた教育関連の雑誌の棚で見つけた一冊。
『校長式辞12か月』教育開発研究所編
「学校の節目・行事を引き締める、心の琴線に触れる名式辞集」。
校長先生なら「心の琴線に触れる」言葉を自ら創り出してほしいものです。学生レポートのコピペを問題視しながら、校長たる人物がこの本からパクッた式辞をドヤ顔で話す姿を想像すると、先生への不信感を意識しはじめた小、中学校時代を思い出してしまいました。
すでに過去記事で私の教師嫌いを感じられたかもしれませんが、義務教育9年間のうち、信頼できたのは小1,2年の担任の先生だけ。しかしながら、そこから学んだことは、その後の人生にとって大いに役立つことがありました。
そんなエピソードをまとめて書いてみようと思います(長いです(笑))
1.「先生の言うことは虚言である」<小学校3年生>
私は平均より体格が良く、小学校3年生のときは足のサイズが23㎝。まだ土曜日が半日だったころ、週末上履き洗いをするために持ち帰ることを忘れ、自宅でランチを取った後、すぐに学校へ取りにいきました。クラスメートのR子ちゃんも忘れて取りに来ていました。
ところが、私の靴箱をのぞくと上履きがない。R子ちゃんも一緒に探してくれたのですが見つからない。そこへ、3年担当の先生たちがぞろぞろと体育館から戻ってきて、クラス担任のO先生が私たちに気づきました。
「あら、どうしたの?忘れ物?」
「上履きを持って帰るのを忘れて取りに来たんですけど、ないんです。」
「私も一緒に探したけど、水鈴ちゃんのがどこにもないんです」とR子ちゃん。
O先生はすのこをどかしたり、傘立てをずらして一緒に探してくれるのですが見つからない。
そこへ学年主任のM先生がやってきました。クラス崩壊教師のO先生に対して上から目線のトーンで、「O先生、何してるの?」
「この生徒の上履きがなくなったというので一緒に探して....」
するとM先生は急に作り笑いを浮かべて、私に近づき、
「そうそう、水鈴さんの足のサイズ、先生と同じなのよ。今日、体育の研修があってね、ちょっと借りちゃったの。あなた、ほんと大きいのね。先生履いたけど、少しぶかぶかだったわ」
先生の手にぶらさがっている上履きのゴムとかかとの部分には、油性ペンで書いた母直筆のクラス名と私の名前が書かれていました。
O先生は黙ったまま、R子ちゃんは二人の教師の顔を交互に見つめ、そして私は泣きたくなりました。
「人から物を借りるときは、黙って勝手に使ってはいけません」
幼稚園からこういった指導を受けてきた私にとって、M先生の態度は衝撃でした。大人であり、しかも学年主任の先生が、無断で生徒の靴を借り、謝るどころか、足のサイズが大きいことを揶揄されたことに初めて「屈辱」という感情を覚え、「先生は指導することはできても、先生自らそれを実行することはない」と悟りました。
2.「先生の涙は脅威である」<小学校4年生>
担任のO先生は、新卒の若い先生でした。教室の統率能力が低く、やんちゃな少年たちは授業中に大騒ぎ、女の子はおしゃべりに明け暮れるの毎日。収集がつかなくて泣くのですが、最初は効果があっても、何度も泣く先生に生徒たちは慣れてしまったのです。
ある日、スカートめくりにはまった男子生徒Y君は、クラスの女子全員のスカートをめくり終わって、次のターゲットとしてO先生のスカートをめくろうとしたら、先生は予想外の激昂ぶりを見せました。そして、彼を机の上に立たせると、先生はズボンを脱がせ、パンツをちらっと下ろしてしまったのです。衝撃でした。
私が記憶しているのはY君が顔を真っ赤にして泣きそうだったこと。きっとトラウマになったでしょう。その後スカートめくりはパタリとやみましたが、クラスが変な空気になったことを覚えています。女子生徒がスカートめくりされたときには、厳しい注意を与えなかったのに、自分がされそうになったとたんに、このような罰を与えるのはただただ驚きでした。
3.「個人的なゆとり先生は生徒の未来をつぶす」<小学校6年生>
担任のG先生は、体育を得意とする先生で、当時20代半ばの独身男。いつも汚いジャージ姿で、校庭の白線引き、学級菜園の耕しなどやっていたので、用務員の人と間違えてしまったほど。
普段から宿題や課題などなく、授業はいつもくだらない話で脱線。卒業時に教科書半分くらいしか終えてなかった状態です。夏休みも「心身ともに健康であれ」で、学年共通の宿題以外はなし。今でいう、ゆるゆるのゆとり派です。当然、他のクラスより学力は下降線。そんな中でも中学受験を控えていた生徒がおりました。中学受験当日、クラスの数名が欠席。朝のホームルームでG先生がこう言いました。
「みんなわかってると思うけど、今日休んだ人たちはみんな私立中学の受験を受けているんだ。だが、俺は中学の受験は必要ないと思っている。受験勉強は高校からでいいと思ってる。」
「なぜこんな話をするんだろう」と不思議でしたが、合格発表の結果を知ってその意味がわかりました。みごとに私たちクラスの受験生全員が不合格。他のクラスは全員合格というクラス格差を目の当たりにしたのです。
今ほど中学受験が過熱している時代ではないので、夏期講習や家庭教師をつけてる子は超難関校以外は大方受かっている時代でした。受験組の父兄たちは内申書がよくなかったことをこぼしていましたが、担任のG先生が内申書に何を書いたかはわかりません。ただ、私立中学を希望する生徒を応援しない先生は、その生徒の未来をつぶしているように思えました。
4.「先生の人望の厚さと生徒の人望の厚さはイコールではない」<小学校6年生>
4年から始まったクラブ活動。私はずっと「合唱クラブ」に所属していました。6年生のとき、クラブ長1人、副クラブ長2人、書記2人を決めることになり、6年生は5人だけだったのでずっと一緒だったR子ちゃんと副クラブ長に立候補しました。
低学年のとき同じクラスだったA子ちゃん。いわゆる先生受けする優等生です。彼女とピアノの上手なS子ちゃんがクラブ長に立候補。多数決の圧倒勝利でS子ちゃんがクラブ長決定。
次に副クラブ長。私とR子ちゃん以外で立候補はないだろうと思ったら、A子ちゃんが再び立候補。多数決で私とR子ちゃんがゲット。
そして書記。5年生の女の子2人が立候補しました。するとA子ちゃんが再び立候補。結果はA子ちゃん落選。
「A子さん、残念だったわね。でも、あなたのリーダーシップは先生が保証するから、新クラブ長のS子ちゃんを助けてあげてね。」とクラブ担当の先生の言葉。
実はA子ちゃん、4年生から毎年児童会役員にも立候補し続けていますが、毎回最下位で落選。鼓笛隊の指揮者にも立候補しましたが、残念な結果に。なんとか委員会の委員長も落選。
とにかく何かと立候補しまくる姿をチャレンジ精神ととるのか、それとも他の生徒たちが「この人また立候補してる」という空気をポジティブにとらえているのか、A子ちゃんの脳内は理解できません。この姿勢は中学校の生徒会役員や委員会役員でも貫きましたが、中学でも3年連続落選です。
立候補し続けるA子ちゃんの野望は先生からの人望で支えられていたのかもしれませんが、生徒からの人望に代わることはありませんでした。
5.「先生は生徒の持ち物を妬むことがある」<中学1年生>
中学校入学後、初めての英和・和英辞典は父が奮発して買ってくれた革装の「コンサイス英和・和英辞典」でした。学校では中学生向けにいくつかの辞書を薦めていましたが、クラスの大半は好きな辞書を選んでいました。
クラス担任で英語担当のK先生は小柄な女性ですが、男みたいな言葉を使うのが不快でした。最初の授業で教室を回りながら、生徒たちの辞書をチェック。私の席で足を止め、辞書を手にとると「まだ、お前にはこの辞書は難しい」と言われました。「お前」と言われてカチン。帰宅後、父親に「コンサイスはまだ早いって言われた」と告げると、「コンサイスぐらい引けなくてどうする。へんな先生だな」と不思議がり、兄は「Kだろ?あいつ、まともな辞書持ってねーんじぇね?」と一言。
さらに先生はM君の使い古された岩波の英和辞典を手に取りました。K先生はM君のお父さんがイギリスの大学教授であることを知りません。
「ずいぶん古い辞書だな、これ。」
「僕の父が使って、兄も使ってたものです。」
「お父さん?いつのだ?あはは。新しい言葉は載ってないかもな~」といじわるい嘲笑を受けたM君は口を一文字にして、じっと辞書を見つめ、耳は真っ赤でどうやらご立腹のようす。
2学期になってM君は新しい大きな辞書を抱えてきました。「ランダムハウス英和大辞典」だった気がします。それを見て、K先生は高笑い。
「お前、毎回これを鞄に入れて持ち歩くつもり?」
「はい。これなら新しい言葉も載っているって父が選びました」
「ま、新しいし、こんなにでかいなら載ってるでしょ、で、お前のお父さん、何の仕事してるんだ?」と新しい辞書をペラペラめくりながら尋ねると、何人かの生徒が「えー?先生知らないの?M君のお父さん、イギリスの大学教授なんだよぉ~」の言葉にK先生は絶句。
結局、M君は中学3年間、この大きな辞書をずっと使っていました。これは彼の意地かもしれません(今は国際機関でご活躍)。先生の生徒に対するひがみは生徒同士よりもタチが悪いと実感しました。
6.「先生同士のいじめに、生徒が利用される」<中学3年生>
中学3年生のクラス担任もよく泣く先生でした。「運と縁」でも触れましたが、担任の先生をさしおいて、副担任のY先生や社会科担当のNババアが授業中に生徒指導をすることがたびたびあり、ウザく思っていました。
その日、朝から少しだるかった私は、3時限目が終わって保健室にいくと38℃の熱。担任の先生に知らせると「今日は早退して休みなさい」と許可を得て、4限目前に帰宅。共働きなので、親が保険証と病院用の財布を用意してあるので、すぐに制服のままかかりつけ医へ。お昼近くになって帰ってくると、家の前に教頭先生とNババアが立っていました。
そして私の姿を見るなり、Nババアが「今までどこに行ってたんですか?!」と厳しい一声。
(担任でもないのに、なにコイツ?)と思いつつ、
「病院です。ほら。」と院内処方の薬袋を見せました。
「一人で?」
「はい、うちは共働きですから。でも母から具合が悪かったらすぐに医者に行けと言われているので行きました。」
「保険証は?お金は?」
「いつでも行けるように用意してあるんです。」と保険証と母のお古の財布を見せると、Nババアは教頭先生にコソコソ...。「じゃ、教頭先生、大丈夫ですね、よろしいですね」
(なんで、教頭が来てるの?)という私の視線に教頭は目をそらし、禿げ頭をそらし、後ろを向く始末。
「じゃ、早く家に入って休みなさい。」と教師ぶるNババアに
(引き留めたのはお前だろ!)とむかつきつつ、
「私、担任の先生から早退の許可もらいましたよ」と言っても無視して二人は去ってしまいました。怒り心頭でその晩は高熱ピーク。
翌朝、微熱のまま登校。担任の先生は私の顔を見るなり、
「まだ熱があるじゃないの、無理しちゃだめよ」と能天気。
「昨日のこと、先生知らないの?」
きょとんとする先生。
「私はちゃんと先生に早退の許可を得たよね。間違いないよね?」
「ええ、許可しましたよ。どうかしたの?」
「だよね?それなのに、なんで家の前にNババアと教頭がいて、病院から戻ってきた私に『今までどこに行ってたの?』って説教されなきゃいけないわけ?!」
先生は愕然。
「なんで先生が知らないの?私の担任は先生でしょ!」
「N先生も教頭先生も、私には何も...」と涙目。
「泣かないでよね、先生。泣きたいのはこっちなんだから!今から教頭とNババアに担任に知らせず勝手に家庭訪問した理由をちゃんと聞いてきて!私、納得いかない!」と中二病重症患者の私はぶちぎれまくり。
結局、担任の先生は何も言えず、何も聞けずです。先生同士の力関係が露呈しました。そしてNババアは何もなかったかのように、しらっと授業を続け、心の底から呪ってやりました。
実はクラスの中に、受験を控える中学3年の担任として、若くて経験の浅いことを心配する父兄がいて、担任を変えてほしいという声が上がったことがあるのです。担任教諭は国立大を出て、英語以外の教科も、そして高校の英語教諭の資格も持っていて能力的には問題なく、泣き虫ではあるけれど、クラスが崩壊するほどの統率力が欠けていたわけでもなく、担任は継続となったのです
私が早退した日、4時間目はNババアの社会科の授業。その前に早退した私をただのさぼりと位置づけることで、Nババアは担当教諭としての管理能力とかに難癖つけるつもりだったのではないかと思います。
大人を疑うことを知らない子供の私は、この義務教育9年間で「先生を信頼することはリスクを伴うものである」ことを学びました。
先生が書く通知表や内申書は極めて主観的であり、その評価は社会的なものとはなんら関係のないことが多いと思います。それは立候補しまくったA子ちゃんのように、彼女の意識はいつでも先生にしか向いていない、それが選ぶ側の生徒に何の効果もなかったことに気づいていれば、こんなに落選することもなかったでしょう。
義務教育の9年間、人生100年としたらたったの9%。その9%の評価が悪いからといって、その人の人生が悪いと決まったわけでもありません。
最後にもう一つエピソードを。
英和辞典に難癖をつけた中学校のK先生は中学1年だけですみました。K先生が中学2,3年の担任だったクラスのお気に入りは小柄なA美ちゃん。彼女は公立高校に進学後、私と同じ大学に進学しました。
入学式で私と会ったとき、A美ちゃんは驚愕していました。というのも、私の通った都内の私立女子高はリベラルというか、いわゆるビリギャル高でして、進学率はA美ちゃんの高校とは比べ物にならない(笑)。
私はこの女子高のおもしろい授業と信頼できる先生方のおかげで勉強が楽しくなって、運よく合格できました。
A美ちゃんは成人式の同窓会でK先生と会ったことを話してくれました。
「K先生ね、私が大学の英文科に進んだことを、すっごく喜んでくれたの。」
「でしょうね、A美ちゃんはK先生のお気に入りだったもんね」
「でね、水鈴ちゃんも一緒だよっていったら、先生、すっごく驚いてた。ほんと、びっくりしてたよ。」
「あ、そう?じゃ、今度会ったら『ざまあ』って言っといてよ」
「ええ~?どうして?水鈴ちゃん、嫌いなの?なんでぇ~?」
脳内鈴木奈々のA美ちゃんなので、詳細は端折るのが一番、話題を変え、
「あ、そうそう、私のクラスのM君知ってる?彼はペンシルベニア大学に進んだのよ。M君はK先生と英語で会話したいって。それも伝えといてね。」
「え~、どういうこと?M君ってあの分厚い辞書持ってたよね?」
A美ちゃんはM君を辞書オタクだと思っていました。
「そそ。K先生は絶対覚えてると思う。彼は今英語ペラペラだよ~ん」
「ええ、すごぉ~い」
そんなA美ちゃんは、リッチなOLを目指し、バブル期の証券会社に入社するもノルマ達成できず2年で退職。その後、ひたすら婚活に励み、証券マンと結婚し、専業主婦となりました(めでたし、めでたし)。
ビリギャルだろうと、ヤンキーだろうと、優等生だろうと、社会に出れば過去のこと。それを肥やしに前に進むしかない。肥しが多すぎて臭い私ですが(笑)、それでも人生は楽しいと思っています。