鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

キレる私をやめたい

 キレやすい人を見たとき、若い時はただドン引きするだけでしたが、年齢を重ねるにつれて、私もいずれこうなっちゃうのかな…と思うようになり、現在に至っては身近なことに感じます。

 つい最近、キッチンのシンクに向かって小鉢を力いっぱい投げつけて粉々に。その日は些細なことでイラついていて、食器を洗うことに集中しようと、心の中で「こんなことで怒っちゃいけない」と抑えていたのですが、怒りの暴走が止まらず、ついにガッシャン!キレた後は急速に冷静になり、割れた食器を片付けながら激しい自己嫌悪に襲われました。更年期なお年頃のせいなのか、それとも このまま私はおかしくなってしまうのか...。キレた人たちのニュースを見るたび、自分の中にある秘めた残虐性がいつ顔だすのか危機感を感じてしまい、思わずアマゾンでポチっとしたのがこの本です。

『キレる私をやめたい』田房永子

キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~ (BAMBOO ESSAY SELECTION)

 主人公・エイコは結婚後、夫との生活のなかで突然キレてしまう。そんな自分をもてあまし、なんとかしたいと奮闘するエッセイ・コミックです。重たい内容ですが、描かれているキャラがゆるめなので読みやすいと思います。

 エイコのキレるときの心境が自分とが重なりました。エイコは夫に対してキレているとき、「こんなこと言っちゃだめだ、優しくしなくちゃ」と衝動を抑えようとしても抑えきれず、夫をグーで殴ったり物を投げたり、ときには警察まで呼んでしまうほど。そしてキレた後はかならず自己嫌悪に襲われるという繰り返し。

 自分をなんとかしようと箱庭セラピーや精神科医の扉をたたくものの効果がない。やがて子供が生まれ、そのうち子供にキレるのではないかと思ったエイコが出会ったのがゲシュタルト療法。

 怒りを体に感じて、その感情を吐き出させ、怒っている自分を客観視させていく方法で、セラピーの様子は漫画で分かりやすく説明されています

 エイコのトラウマは母親だけでなく、小学校時代の先生たちの言葉にも傷ついています。小中学校の先生たちから傷つけられた言葉や行為はその後の人生に影響を与えているのはうなずけます。また、「だめだね」「君ってレベル低いよ」「僕のおかげだよね」と言うエイコの元カレは母親と似たタイプ。そんな元カレの言葉もトラウマになっています。

 夫と付き合い始めたとき、二度と威張られる生活が嫌だったので相手より上になろうと決意します。母親や元カレの影響で対等な関係を持てる感覚がわからなかったのかもしれません。『他人を支配したがる人たち』で指摘していたのですが、これは支配されていたエイコが彼らから受けた「勝ち負け」の関係を引きずっているように思います(威張られる生活=支配、上に立つ=勝ち)。

 夫のささやかな否定、例えば「ねえ、リモコン、ここに置かないでってば」という言葉が、エイコの中でその言葉が変換されてしまうのです。

「ここに置かないでってば」

→「なんでこんなこともできないの?」

→「ほんとだめだな」

→「お前、やっぱダメな奴」

と受け取ってしまい、心に強烈な衝撃を受けるわけです。

 この致命的な攻撃は、ある意味、自傷行為に思えます。夫の一言がスイッチになって自分で自分を傷つけ、追い詰めていきます。ちょっと注意されたことによって失敗した自分、自分がダメと思ったときにキレるのです。

 「もうこれ以上自分をダメって思うことができない!どうしろっていうの!」と自分自身でパニックになり、「私だってがんばっているのに、どうして責めるのよ!」と爆発してしまうのです。そんなつもりが全くない夫は、なんでそう解釈するの?とドン引きなわけです

 キレるメカニズムで興味深かったのは、過干渉との関係でした。

 自分で思うようにうまくいかないとき、ネガティブな予想を立て、未来に悪いことが起こると勝手に決めつけるのです。毒親や身近な人たちから「ちゃんとやらないと迷惑がかかる、こんなことしたら罰が当たる」と言われた経験から、暗示にかかったように自らお先真っ暗状態の未来を設定してしまい、その状態にパニックになる。そうなると原因を探ろうと過去に目がいき、「あのとき、ああだったから、こうだったから」と自分自身を責めて後悔の渦に身を置いてしまうのです。

 息が詰まるような未来と過去を意識が行ったり来たりして、「今」にとどまっていないわけです。

 「今ここにいる」というエクササイズは、目の前に見えるものを心の中で言うというもの。禅の心身一如と似ています。心と体を一つに考える。座禅のように何も考えずにいるのは難しいですが、見えるものに意識がいくことでつまらないことを考えないようにするのです。宮崎奕保禅師の言葉ですが、

なにも考えない妄想せん事や。いわゆる前後裁断や。その時その時一息一息しかない。何か考えたらそれはもう余分や。座禅ということはまっすぐという事や。まっすぐというのは背筋をまっすぐ首筋をまっすぐ右にも傾かない左にも傾かない。

  「前後裁断」過去も未来も断ち切って今に集中する。「右にも左にも傾かない」を「自分の意識を未来にも過去にも傾けない」と解釈できます。

 キレやすい人の共通点(この特徴は『他人を支配したがる人たち』でターゲットになりやすい人たちの特徴と重なって興味深いです)

  1. 伝えたいことが相手に伝わったという実感を得たことがあまりない(聞く耳を持ってもらえない、相手にしてもらえない、話を途中で遮られてしまう)
  2. 「心」では自分のことをどうしようもない人間だと思っている(ちょっとの失敗も完全自己否定)
  3. 相手の意見は相手のもので、自分にも正しい部分があると思えない(相手の言っていることは正しい、私なんていつも間違ってばかりと低評価)
  4. 意識のピントが「状況」にあって「心」に気づいていない(「私はダメなのに恵まれている、もっと人に感謝しなきゃ」という「状況」に「なんかうれしくないな」「本当に私はダメなのか?」「そんなの納得できない」という「心」が見えない)
  5. 1~4が合わさって、「ムキになる」が劇的に発生しやすい
  6. キレるたびに心ではなく体が落ち着くという作用がある(「キレた」状況に、「私ってやっぱりダメ」が合致する(=落ち着く)、しかし、心はさらに傷ついている)

 そういう人は実は誰よりも自分に厳しくなっているので、自分の長所を見つけるのが苦手。自分の「心」にピントを合わせる習慣によって自分の良いところに気づくようになります。

  • 休む

 自分で思っているより心身ともに疲れているので、眠ることはもちろん、気がすすまないことはやらない、人に会いたくないときは会わない、一人で静かに落ち着く時間を作る

  • 自分をほめる

 キレる原因は自分自身を貶している、自分で自分を嫌っていることなので、無理やりでもほめる。

 それでもほめることができないときは…

  • 今ここにいる

 「今」に集中すると状況や世間体がそぎ落とされて、自分の素材が見えてほめやすくなる。変な思い込み(人に嫌われるんじゃないか、罰が当たるんじゃないかなど)にとらわれないので、そんなに私って悪くないかもという方向に気持ちが向きはじめる。

  例えば、イライラしながら歩いているときに、目についたショーウインドウの品物に意識を向けて(ハロウィンのグッズが見えます)と心の中で言うわけです。食堂に入ったら(割りばしがあります。おしぼりがあります。)、書店などいいかもしれませんね。タイトル名をひたすら読む(「週刊文春」があります、「ドラえもん」があります、「ハーレクイン」があります)とか、これなら私も実践しやすそうです。

  巻末についているフレデリック・S・パールズ(ゲシュタルトセラピーの創始者)が作った詩が印象的でした。

私は私のことをする、あなたはあなたのことする

私はあなたの期待に沿うためにこの世にいるのではない

あなたは私の期待に沿うためにこの世にいるのではない

あなたはあなた、私は私

それでもしお互いが出会うなら、すばらしい

もし出会えないなら、しかたない

  (英語版)

I do my thing and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I,
And if by chance we find each other, it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.