鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

インナーマザー

 先週、従妹が急死した。彼女は以前書いた記事「自分のついた嘘を真実だと思い込む人 - 鈴の本箱」で触れたK叔母の娘S子である。

 「母という病/父という病 - 鈴の本箱 (hatenablog.com)」でも書いたが、S子は数年前にステージ4のがんが見つかり、他の臓器の転移もあり、大手術の末、1年かけてようやく社会復帰した。

 抗がん剤が効いて再発の心配もなさそうというときに、その副作用のため、二型糖尿病が一型糖尿病になった。ストーマの装着もあり障害者認定を受けた後、軽作業の仕事にも就けて働いていた。結婚したが、別居中で、一人暮らしをしていた。

 S子とは彼女の弟の結婚式以来、二十年以上も会っていない。彼女の様子を聞いたのはすべてK叔母の口からであった。亡くなった連絡もK叔母で、留守電のメッセージに驚いた私はすぐに折り返した。

 久しぶりの電話にすぐにK叔母は泣き出した。さんざん、嘘をついた叔母なので、その涙にだまされるものかと、「泣かないで説明して。いったい何があったの?がんも転移なく順調だったんじゃないの?それとも急に体調悪化したの?」と質問を浴びせた。するとすっと涙が引いたようで、ペラペラと話し出した。

 遠方であったし、母の高齢とまだコロナが心配という理由で、私は葬儀へ行かなかった。葬儀後、香典や弔電のお礼の電話が、叔母の夫である叔父からあり、S子の最期の様子をうかがったら、叔母とは内容が異なった。

 叔母の内容:日曜日、我が家で夕食を一緒に食べようとS子を誘ったが、「かったるいから今日はやめとく」といってこなかった。一緒に食べようと思ったシュークリームがあったので、翌日の月曜日に叔母が届けに行った。そのとき、S子は微熱が37℃ほどあって、コロナを心配した叔母に対して「3回ワクチンうったから大丈夫」といって、午後3時からの仕事にでかけた。

 叔父の内容:日曜日、我が家で夕食をS子と一緒に食べて、夜遅く帰った。あれが最後の姿となった。

 さらに続く

 叔母の内容:上司の話によれば火曜日に仕事を休む連絡があった。水曜日に勤務時間が過ぎても連絡がなく、姿も見えないので連絡をくれた。S子が働いていてよかった。よい職場で親切な上司で良かった。もし、連絡をくれなかったら発見が遅れただろう。叔父があわててS子のところへ行ったら、倒れていて、こときれてるように思えたが、救急車をすぐによんだけどダメで、警察がきて、検死のため遠い病院に行って、その日の夜遅くにかえってきた。死因?極度の低血糖だって。抗がん剤の副作用のせいで糖尿病が二型から一型になって、S子も私も腹が立って訴えたいぐらい。

 叔父の内容:S子は火曜日の夜遅くまで友達とメールしてたらしい。死亡推定時刻は水曜日の朝9時ごろで、勤め先から連絡があって、私が発見したのが午後4時過ぎになった。テーブルの上にお弁当があって、一口ほどしか食べてなかった。検死のときにCT検査したら、誤飲性による呼吸困難もあったみたいだ。先月中旬のがん検診では転移もなく腫瘍マーカーの結果もよく、安心していたのに。大腸がんの副作用で二型から一型になったって、もうねぇ...

 二型から一型になると聞いてよぎったのが、「劇症 1 型糖尿病」。膵β細胞とやらが急激に壊れて、自らインスリン分泌ができなくなるらしく、低血糖で手遅れになると命の危険があるという。母の以前通っていた病院の同病仲間のお一人がそれで、呼吸器外科にも通うようになったのを最後に母とは会えず、数年後、亡くなったことを聞いて、母はすごくショックを受け、同時にとてもビビッていた。

 叔父の心配はS子のがんに占められていたようで、S子の糖尿病についての理解が十分ではなかったように思えた。でも、80代の父親が五十代の娘の心配をそれ以上しろというのは酷である。

 叔母の言い方では大腸がんの抗がん剤のせいで1型になった、つまりドクターの処方がよろしくなかった的な言い方だった。抗がん剤についてはインフォームド・コンセプトがあったと思うし、合意されたはず。

 高度な医療の薬には副作用は避けられない。ステロイドでさえ、数ある副作用の中に高血糖がある。それでもその薬のおかげで症状が抑えられるのだから、多くの患者が副作用と戦うのである。消化器系の抗がん剤の中に高血糖を引き起こすのは知られている。胃がんだった父も晩年、お酒はとっくに絶ったのに、血糖値が上がったのを覚えている。

 私は叔父にやんわりと「薬の副作用で血糖値が上がるのはわりとありがちなんですよねぇ...、消化器系の抗がん剤もそうみたいで、父も晩年血糖が上がったし....。」と言ったら「え....?」と絶句。「でもその薬のおかげで転移もなくこれたわけですし...」ととりなしたら「そ、そうだよね、そうだ、そうだ」と納得したようだった。

 死因が「極度の低血糖」というのが悔やまれた。一人暮らしなどさせず、一緒にバランスのとれた食事をとり、毎日15分程度の散歩だけでも違ったはず。もともとS子は肥満だった。がんの手術して痩せたはずが、その後あっという間にもとの体重に戻ったのだから、血糖コントロールがうまくいってなかったと思う。S子が弁当を一口食べた様子や、午後3時からの仕事、それだけで、食事療法や食事時間、インスリンを打つ時間がマチマチであるのがうかがえる。そして何よりも両者の話からS子自身の主体性が感じられなかった。

 皮肉にもS子の訃報はこの本を読み終えて間もなくのことだった。

「インナーマザー」佐藤学

インナーマザー ~あなたを責めつづける心の中の「お母さん」~ (だいわ文庫)

 S子の結婚後、彼女の様子は私が直に見ることはなく、彼女と二人きりで話すこともなかった。だから彼女がどのように年を重ねていったかすら見えない。

 この著書の中に「世間並みということが最優先」というのがある。親からの影響で「世間並み」ということがとても大切で、一種の「イズム」があるという。

 カルト集団がわかりやすいが、その教祖が親である場合、親は神様であり、信者にならなければその家庭で生きていけない。宗教の教義に固いルールや禁止や秘密があるように、家庭も、家庭内に秘密やルールがあり、強いマインドコントロールを受ける。

 S子はそうやって育ってきたと思う。叔父が掲げる理想とする娘像があったと思う。その叔父は仕事に精を出し出世する。一方で専業主婦だった叔母は育児に専念するがS子が理想通りにいかない。夫に責められたくないので、嘘をつく。

 これはS子の人生を振り返ると本当にそうだった。

 付属高校に入ったとき、学力不足もそうだったが、課題レポートの提出に困ったS子は友人に見せてもらった内容を丸写しするというオオボケをかまし、付属短大の内部進学はおじゃん。

 その後上京した短大の学寮でルームメイトともめて、寮母さんと過ごした。

 Uターン就職で親元から通った会社の経理部門。毎日帳簿を家に持ち込んで(今なら懲戒もんだわ)、叔父にチェックを受ける始末。

 その後、親から「持ち家のある男と結婚するのがよい」と言われ、その通りそういう男を見つけて結婚し、共働き前提での結婚だったが、家事と仕事の両立がうまくいかず、叔母が食事を作って仕事の帰りに持たせたものの、帰路に就く途中に車の事故を2回も起こし、壊れた車は叔父がすべて買いなおし。妻の手作り料理だと喜んでいたS子の夫は実はS子の母が作ったのを出していたことに憤慨。

 「子供は早く生んだほうがいい」と言われたとおり、結婚2,3年目で最初の妊娠。近くの産院で難産になり、あわてて総合病院へ。

 産後、体重を戻すことなく「子供は続けて生んだ方がいい」と言われたとおり、2年後二人目妊娠。血糖値が高く羊水過多と判断。おそらく糖尿病が発症したのはそのあたりだと思われるが、本人も周りも無事に出産することだけで頭がいっぱいだったのだろう。無事に出産し、その後も彼女は太り続けてピークは3桁体重。共働き前提の結婚だったのに、息子の給料が安いと言われ、ことあるごとに仕事が続かない嫁に姑がついにご立腹、そんなS子をかばう実家との溝が深まる。そんな矢先にガンが見つかり、その後も両家の溝は深まったままついに別居。

 これらの話は長年にわたってすべて叔母の口から聞いた内容なので、多くのうそがちりばめられていると思う。そして、客観的に見てもS子に原因がありそうだが、叔母が語ると今まで起きたトラブルはすべて相手に非があるとなる。

 レポートを見せた友人が一言注意してくれれば、とか、ルームメイトはとんだ不良だった、とか、相手の給料が低いからS子がかわいそうだとか、挙句の果てにS子の家計(つまり婿の通帳)まで預かった叔母である。

 どれもこれもS子の意思がまったく見えず、親の言うがままだったのである。

 S子が独身の頃、食事にいってもメニューが決められない。「好きなのを選んでいいわよ」といっても「みすずちゃんはどれ?」とか「なんでもいい」とか、遠慮しているのかと思うが、実は自分の意思でものごとを決めたことがないのだ。その一方でバフェやバイキングなど食べきれないほどよそってくる。択一の「どれがいい?」は決定に責任が及ぶが、無作為、無制限の「どれでもいい」は気が楽なのだろう。

 糖尿病についていえば、S子はドクターから指導を受けていたと思う。しかし、親に話せば「食べるな」と言われて、好きなものが食べられなくなると思っただろうし、「運動しろ」で車を取り上げられて行動が制限されるのを恐れていたのかもしれない。

 また結婚生活や子供の育児(もほとんど親任せ)のこともあって、親にこれ以上迷惑かけてはいけないと思って「大丈夫」と言ったのだろう。これは叔母が「お父さんに迷惑かけて」と呪文のように言い続けていたからと思われる。自分で自分をどうしていいのかわからなかったS子。夫も子供も実家も目と鼻の先ほど近い場所に住んでいながら、孤独死するとはだれが想像しただろう。心から冥福を祈っている。