鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

本厄年 前半まとめ

 今から5年前、自分の運のなさを書いた→

 今年の夏、還暦を迎える私は本厄。成人式以来の人生の節目の行事なのに、なぜ本厄なのかと突っ込みたくなる。めでたいのかそうでないか、よくわからない。

 今年前半も、見事な本厄ぶりである。

1.母の入院

 4月下旬、一緒に入浴し、風呂上り後は自分で着替えることができた母親。いつも椅子に座って靴下やスラックス下を履くのに、その日は自室の和室で立って履こうとしたらしい。体のバランスをくずし、腕が出ないで頭から倒れてしまったようだ。

 そんなことを知らず、私は母を送ったあと、のんびり入浴し、風呂掃除をおえ、母の部屋にいくと頭から血を流してパンツ一丁の母が倒れている。ちょうど襖のへりで頭を切ったらしく、血だまりができている。

 こちらも風呂上り、びしょびしょの髪をまとめて、服を着て駆け寄る。

 「大丈夫?今、タオルもってくるからね」と洗い立てのタオルに保冷剤をまいて頭にあてる。

 「頭より、ここがイタイ」と指さすところは太もも

 起こしてほしいというのでゆっくり起こすとひどく痛がる。動けない、頭から血が出ている。もう、救急車である。

 「ちょっと休めば大丈夫だと思う」という母

 「頭がざっくり切れてるから、そっちも心配だし、見てもらったほうがいい」

 ということで、やっとのこと服を着せ、「救急車呼ぶよ!」

 日曜日の夕方、搬送先の病院が限られると心配していたが、以前も転んで運ばれた病院でちょっと安堵。検査の結果、大腿部骨折。整形外科の先生が直接診察してくれたので、数日後に手術となり、即入院。頭は皮膚が切れているだけで、すぐに止血できたので問題ないとのことだった。入院中は感染症対策で面会はできないとのこと、現状が把握しきれていない母親に説明し、入院手続きを終えたのが七時頃。

 アクセスの悪いところなので、夜間警備の方にタクシーの手配を頼んでもいつまでたってもこない。着の身着のまま、髪もまだ少し濡れていて、寒くなってきた。

 「あの、タクシーまだですか?」

 「おそいね、確認しますね」と電話をかけてくれたら、とっくに配車したという。誰かに横取りされたらしい。さっそくついてない。

 再度かけてもらい、今度は名前を確認するように要請し、外に出て仁王立ち。タクシーがきたとたん、数名が近づいたが、タクシー運ちゃんが「○○さんは?」と聞いてくれて、「私です!配車を頼んだ○○です!」と大声で手を挙げて、血相変えて乗り込んだ。家に戻ったの八時半。すっかり冷えてしまい、再度入浴する。そして血だらけの母の部屋を掃除し、眠りについたのは夜半過ぎだった。

 

 2.督促状(すんごく長駄文)

 もう6年前になるが、近所に住むAさんのことを書いた→★★

 現在、彼女は住民地区の当番で期間は4月から6月まで。この当番は2年~2年半に1回のペースで回ってくる。メインイベントは資源ごみ回収日45分間1回だけ立ち会うこと。あとはどの地域でも見られる回覧板を回したり、掲示物などの活動だが、これに加え、4月から6月の当番は自治会費の集金がある。

 ここ1,2回、当番の引継ぎのときに「??」と思う言動が目立ってきたAさんはもう87歳。90歳の母とつい比べてしまうが、年齢による物忘れのレベルではなくなってきている。ただ、ごまかすのがうまいのか、近所の人はAさんは元教員だけあって、しっかりしているというイメージを持ちづつけている。

 私があれ?と思ったことをいくつか挙げてみる。

  • 8年ほど前、「ここにお名前と自宅の電話番号を書いてください」と言われて、自宅の固定電話番号がまったく思い出せなかったことがある。私は母を心配したら、スラスラ答えられた。母曰く「通販の申し込みやで宅配の伝票とか、病院の予約とか、思い出す機会が多いから忘れないわ」と言っていた。
  • 数年前の4月1日、Aさんからうちへの当番引継ぎの日を忘れたことがある。母は「4月1日は年度初めでしょ?あの人教員だったから、きっちりに引継ぎに来るわよ」と二人で構えていた。ところが、2日すぎても3日すぎてもこない。そして私が訪ねると「あら?私が当番?」とすっかり忘れていた。
  • 私が当番だったとき、回した回覧板がいつまでたっても戻ってこない。各戸に確認しても「回したと思う」で不明が続いた。その2か月後、こっそり我が家のポストに入っていた。Aさんで止まっていたのだ。
  • 各新聞社が行っている古紙回収。回収日が明記されているが、なぜかその日に出したことがなく、回収されずに何週間も放置されていた。

 と、いった感じだ。

 今回は、自治会費の集金。今までを振り返ると「領収書」はもらわねばと思っていた。

 掲示板に自治会費集金のお知らせが貼られ、その数日後その下に小さいメモが貼られていた。彼女のよわよわしい文字で「明日から集金にうかがいます」と書いてある。明日とはいつ?と近所の人たちは困惑。そしてそのメモの右肩には我が家を含めた3世帯の名前が書かれていた。

 となりの奥さんがきて「お宅もうちも名前が出てて、いつ集金に見えたのかしら。私、今から払いに行こうと思って」と払いに行ったのだ。

 翌日、私も払いにいった。すると「あら、ごめんなさい。おいくら?」ときいてきた。

 「私がAさんに払いにきたんですよ。なぜなら、Aさんは今、当番だから」

 「私が?当番?」

 「そうですよ。ドアにもプレートがついてますよ。自治会費を集金しますって掲示板にはったのもAさんですよね?」

 「ああ、それはブロック長がそうしろって言ったからそう書いたのよ」

 どうやら雲行きがあやしい。

 「領収書もらえますか?」

 「領収書?あら、作らないとだめね」

 「自治会からもらいませんでした?細長い紙の領収書」

 「いえ、そんなのもらってませんよ」

 「じゃ、領収書作ったら払いますね」

 「わざわざ、教えにきてくださってありがとう」

 やばい、絶対やばい。

 そしてやっと集金にきたと思ったら、毎週末、認知症の母親の世話にくるBさんだった。彼女もいつ集金にくるかはっきりしていないので、Aさんに届けにきたら体調が悪いと言うのでお手伝いすることになったらしい。

 支払ったあと、Bさんの手にはAさんから預かったヨレヨレの封筒を半分したサイズの裏に近所の人たちの名前がリストしてあって、日付が小さく書いてある。Bさんはそれを引き継いで、お金を受け取ったあと、うちの名前の横に日付をいれた。

 「領収書もらえますか?」とたずねたら「あ、きいてないです」

 あまりにもリスキーである。

 「毎年、自治会長の名前がついた領収書があるはずなんだけど..」

 絶対、領収書が欲しかった私は彼女と一緒にAさん宅に向かう。私がいるともしらず、「あら~、悪かったわね」と出てきたAさん。

 Bさんが「集金できたのは3件であとの人たちは日付が書いてあるので、Aさんが集金したんですね」というと、「ええ、ええ、それは私が集金したの」というAさん。

 集金した様子もなかったので私は「集金にいらしたんですか?」と聞くと、「ええ、しましたよ」と若干むかつきながらいう。

 その様子にBさんが「じゃ、Aさんが集めたお金も一緒にまとめましょう」と言うと、「え?あら?私の?あ、どこにしまったかしら。や~ね、すっかり年取っちゃて」と奥に消えていった。

 「今週、ずっと自宅にいたけど、集金なんてこなかったよ」と私はBさんに耳打ちした。

 「ちょっと、おかしいかな...。地域包括センターに連絡した方がいいですかね。90歳じゃ無理ないですよね」

 「90歳じゃない、87歳。」

 「さっき、私に90歳って言ってたけど」

 「それは、私の母ね(笑)」

 「一人暮らしだからわからなくなっちゃうのかな。母もそうだったから」

 「あなたのお母さんも私の母も老人会やカラオケ同好会など参加してたでしょ?Aさんは地域の活動に一切参加してないし、唯一の話し相手はCさんだけだから」

 「じゃ、Cさんに相談したほうがいいですね。どこにしまったからわからない状態はやばいですよね」

 ということで、Aさんには家の中を捜索してもらい、Cさん宅へ向かう。

 Cさん宅には最初はAさんのことは触れず「自治会費の集金はもうきましたか?」と聞いてみた。

 「留守中に来てもらったら悪いから、先週、直接届けたわ。あ、そうそう、お宅を含んだ3件の名前が出てるけど、まだ払ってないの?」とCさん。

 ああ、だからとなりの奥さんがあわてて払いに行ったんだと思った。私はその3件の名前がなぜ書かれているか見当がついた。今年度の当番たちなのだ。

 「あれは、今年度の当番の名前をただ書いただけじゃないですか?」とかわした。

 その後、事情を話すと、今までAさんの話を鵜呑みにしていたCさんの顔色が変わった。「そういえば、先週、資源ごみ当番が誰もいない時間帯があって、そしたら地区ブロック長さんがAさんだっていってね、私が代わりにいったんだけど、なんかうっかり忘れてたみたいで」と困惑しつつも擁護していた

 そしてBさんが「あつめた自治会費をどこにおいたかわからなくなってるようで...」と事情を説明し終えたころ、AさんがCさん宅にきた。

 「私も払わなくちゃね」といそいそ財布を取り出す。

 一瞬、こおるCさん

 「Aさんが今、当番ですよ」と私が言う

 「私?当番?」とAさんの様子にCさんはますます心配そうな表情になった

 「先週、私、あなたに払ったじゃない。ほら、△△銀行の袋に入れて直接渡したじゃない」とCさんがいう。

 「え?いつ?え?ああ、私、今日調子が悪くって、もう何も考えられないわ~」と大袈裟にさわぐ。

 そこへもう一人Dさんが通りすがったので、私が確認する。

 「Dさんは自治会費はもう払いましたか?」

 「ああ、払ったよ。うちととなりのEさんの分の二件分ね。Aさんのポストにいれときました。」Dさんは場の雰囲気から関わりたくなさそうにさっさと姿を消した。

 BさんがAさんに再度聞く。家のどこかにしまって捜索していたはずなのにほんの数分でもう忘れているのだ

 「回収したお金、見つかりましたか?」

 「え?お金?」

 「ここにあるのは今日、私が集金した3件分なので、Aさんが集めたお金を今、さがしてもらって見つかりましたか?」

 「ああ、もうやあね、今日はほんとに調子が悪くて、何も考えられないのよ」と大袈裟によろめく

 「どこにしまったか、検討つきませんか?」と私

 「普段、大事なものは全部冷蔵庫にしまってるのに、ないのよ」

 「冷蔵庫ぉ?!」Bさん、Cさんが声を揃えて驚く

 狼狽しつつもCさんは優しく声をかける

 「こういうどんよりした天気の日は体調もすぐれないものよね、明日になったら思い出すかもしれないわよ。今日は一人では心配だから息子さんに連絡した方がいいわ」

 「普段は一人でできるのよ!今日は調子が悪いだけよ」とプライドだけはゆるがない。

 だんだん面倒になってきて、ここは親しいCさんに振ることにした。

 「じゃ、Cさん、よろしくお願いします。領収書、必ずください。失礼します」とさっさと場をあとにした。

 それから数時間後、我が家のポストにヨレヨレの領収書が入っていた。おそらく冷蔵庫にはいっていたのだろう。これを失くすまいとノートに張り付けた。

 翌日の夕方、息子がAさん宅に来て車で出かけた。今夜は息子宅に宿泊かと思ったら、数時間して戻ってきた。

 「じゃあな、おふくろ、また具合が悪くなったら電話くれよ」と軽快にクラクション鳴らして去っていった。病院に連れて行ったとすれば、少し落ち着くかもしれない。

 ところが、これで一見落着ではなかった。それから3日後、我が家のポストにAさんの手書きのメモが入った。見ると「督促状」。我が家で初の督促状である。私の人生初である。「お宅の分を立て替えたから払ってください」と書かれてある。Aさん宅に向かい、「払いましたよ。領収書ももらいました」というと、その日のことを全く覚えていないのだ。「あら、ごめんなさいね、もう、私、最近調子が悪くって~」である。

 そして、次の日もポストに「督促状」が入っていた。ちなみに、2回目督促状は、近所のスーパーのレシートの裏に書かれているものである。しかもそのレシートは1年前のものだった。今度は領収書も見せて説明した。「ああ、これがあれば確実よね、ごめんなさいね、もう、私ぼけちゃったかしら~」である。「昨日、私がAさん宅に伺ったの覚えてます?」と試しにきいたら、まったく記憶にない。

 ああ、こりゃ、だめだ、一生続きそうだわと運の悪さを呪った。

 

 3.市販薬の副作用攻撃

 先週金曜日の午前中までは元気だった。午後になって、ちょっとだるい。だけど、年齢的なもの、薬の副作用でだるいのはしょっちゅうだったので気にしなかったが、夜になるとひどい頭痛に悩まされた。夜に熱が37℃台、夜中は39℃になった。それでも寝冷えぐらいにしか考えていなかった。ステロイド免疫抑制剤を飲んでるから熱が出たと思っていた。

 土曜日の朝、熱と頭の痛みで近くの発熱外来を調べる元気もなかった。その日はステロイド等のいつもの薬は飲まなかった。市販薬の頭痛剤は飲んではいけないとわかっていたが、あまりの辛さにのんだ。製氷器に作った氷を出そうとりきむが力が入らない。顔や頭から汗が滴っている。やっとのことでマグボトルに氷水を入れて、寝床にもどろうとした瞬間、激しいめまいと耳鳴りに襲われた。立ってられず、かがんだところまで覚えている。そのあとは意識を失った。それから数十分後、私は廊下に倒れていた。

 去年、従妹が突然死(孤独死)した。脳裏をよぎった。でも、目が覚めたことをありがたいと思った。ドアノブにお尻をぶつけたのか青あざが出来ていた。必死に起き上がって寝床に滑り込んだ。お尻がズキズキいたい。飲むなと言われた市販の頭痛薬を飲んで、見事な副作用攻撃を受けてしまった。

 翌、日曜日。熱は37℃台に落ち着いた。副作用攻撃を受けたが多少は効果があったらしい。2ℓの空ペットボトルがキッチンに増えていく。明日は這ってでも病院へ行こうと誓う

 

 4.まさかの陽性反応

 月曜日の朝、熱は36℃台まで下がった。ネットで調べてよさそうな内科医へタクシーで向かう。タクシーを降りて、受付に向かうと妙に空いている。

 「今日はどうなさったんですか?」と受付。綺麗な顔したアンドロイドのような抑揚のない声である。

 「ひどい頭痛で」

 「あ、それでしたら、発熱外来に行ってください。うちは予約制なので」

 「初診は予約できないので直接来てくださいってホームページに....」

 「あ、それは発熱外来以外です。」

 「頭痛だけなんですけど」

 「風邪の症状はすべて発熱外来ですので」

 「そうですか。このあたりで発熱外来は...」

 「国道沿いの...」

 国道沿いはそこからかなり遠い。しかも足がない。タクシーもまた呼ばないといけない。

 「他、当たります。」

 「お大事に」

 ロボットのペッパー君の方がよっぽど愛想がいいわと思いつつも、クリニックの玄関でしばし途方に暮れる。すぐ近くのショッピングセンターはまだ開店前。とりあえず、そこにタクシー乗り場があったはず。と、とぼとぼ向かう。数メートル歩いただけで息が切れる。ベンチに座ってスマホで検索。どの開業医も発熱外来となると予約だのオンラインだの即日診察ダメダメパレードである。

 そして公立病院は予約なしで診察してくれると口コミを見つけ、無駄足は踏みたくないので、さらに検索。受付時間は11時まで。ここに決めた。そこへ万に一つの運がめぐってきた。タクシーが来たのだ。すかさず手をあげ乗り込んだ。

 公立病院では建物の横に大きなテントをはってそこを受付とし、いくつかのプレハブが検査と診察となっていた。薬手帳と難病手帳片手に、おずおずと「近くの内科で断られてしまって、診てもらえますか」とたずねたら「大丈夫ですよ」との答え。藁にも縋るとはこのことである。

 難病持ちの私はコロナのワクチンを打っていない。ステロイドや失敗に終わったシクロスポリンなど、様々な薬の副作用でボロボロの状態だったので、ここでワクチンなどとても打ちたいと思わなかったからだ。

 PCR検査とインフル検査の両方を受け、いざ診察へ。まさかの陽性反応。

 「どこでうつったんだろう」と思わずとほうに暮れた。外出だって頻繁出てないし、コロナ拡大前からずっとマスク生活だし、今も洗面台にはアルコールとハンドソープのダブルセットだし、ガサガサになるほどアルコール消毒してたし、今だって、アルコールのハンドスプレーを持ち歩いていたし、気を付けていたのに、いつの間にかかかってしまった。何より救いなのは高齢の母が入院中であること。今、一人の状態で良かったと思った。

 診察してくれた女医さんで薬手帳をみせ、市販の頭痛薬で意識失った件を伝えたら、副作用の比較的少ない頭痛薬を処方してくれた。コロナの真っ赤なカプセルとともに、今日で3日目の服用。幸い副作用もない。お風呂も入っても大丈夫だった。

 そんな矢先にまたポストにAさんからの「督促状」。この厄だけはほんとに払いたい。