鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

運と縁

 「『運』や『縁』の言葉を使って短かい文を作りなさい」という問題があるとしたら、私はこう回答するでしょう。

 私は運がない。
 私は医者と縁がない。

 それに関するエピソードをいくつか書いてみたくなりました。

 

 「私は運がない」シリーズ 

 <その1>

 3つ年上の兄が卒業し、入れ替わるように入学した中学校。各授業の担当教諭の話から、兄が何人かの先生に難色を示しました。(ちなみに、私の中学時代はいわゆる金八先生の「腐ったみかん」世代(笑))

 「俺が中学に入ってから社会科が好きになったのは2年生から。社会担当がY先生になって、その授業が面白かったんだ。俺も1年のとき、Nババア(先生)は最低だった。授業の半分は生徒の持ち物や服装チェックだからな。ま、今年はNババアでも、2年になったらクラス替えもあるし、そのときに教科担当も変わるから気にすんな」

 翌年、クラス替えがあり、いくつか担当も変わりましたが、兄おすすめのY先生は他校へ転任し、社会科は3年間Nババア決定となり、心配した英語も理科もさらなる絶望レベルとなりました。

 それを知った兄、「Y先生転任かよ?!社会が3年間Nババアって、お前最悪だぜ。理科も社会も捨てるしかないな。英語もなぁ、クラスがざわついてまとまらないとあいつすぐ泣くらしいぜ。たぶん、授業にならないだろうな。H先生だったらよかったのにな。お前、ほんと、運がねえな。」

 

 <その2>

 行きたくなかった中学校の卒業遠足。その日、私はとてつもなく行きたくなかったのでした。理由はありません。とにかく行きたくない。友達が誘おうと、親がたしなめようと、ほんとに行きたくなかったのです。そして渋々行ったフィールドアスレチック公園のターザン滑り。前日の雪が残っていて、手すりが濡れて滑りやすくなっていました。次々と滑るなか、自分の番が回ってきて、手すりをつかんで3mの高さからゴー!ハンドクリームのようなぬめりが残っていたみたいで右手があっという間に手すりからはずれ、そのまま落下。下にはネットもなく、山の斜面に右足をつき、右足首脱臼と二か所の骨折。

 地元の整骨院で脱臼をはめてくれたものの、みるみる腫れていき、担任だった英語の先生はオロオロ涙目でうろたえるばかり。車で来ていたのは大嫌いだった理科の先生(夏休みの宿題をシャチハタ1つでチェックを済ます奴)だけで、しかたなくその車で病院へ。家族で利用していた整形外科に連れて行ってほしいと頼みましたが、学校指定なんやらの評判の悪そうな病院へ連れていかれました。理科の先生は「お母さんには連絡したからな」といってさっさと病院を去ってしまい、泥だらけの私は荷物一つなく、病院のストレッチャーに乗せられた薄暗い廊下で仕事中の母親が病院にくるまで3時間以上待機。

 手術もなくギブスで固めて入院3か月。卒業式も出られず、高校の入学式も出られず、いつまでたってもギブスがとれず、このままでは高校は留年となりそうなので、強引に退院。3か月もはめたままのギブスから出た足はミイラ化したように痩せて血色は悪く、15歳の若さでありながらリハビリは1年以上かかり、右足首の関節は今も変形したまま。

 当時、私の荷物を持ってきてくれたクラスメートは「よりによってあの理科の先生の車で、しかも評判の悪いこの病院で、なんか運が悪いとしかいいようないよ。早くよくなってね。ぐすん(涙)」

 

 <その3>

 家族で京都旅行へ出かけた日。平安神宮で厄払いの案内を見た母親は、初の厄年だった私にせっかくだからこちらで厄除けをしてもらおうということになりました。平日とはいえ空いていて、本殿は私一人。お守り等をいただき「やってもらってよかった、よかった。思い立ったら吉日っていうものねぇ」と喜ぶ家族とともに夕食に立ち寄った割烹料理屋さん。ふと、カウンターにかかっていた大きな日めくりカレンダーには「仏滅」の文字が....。(笑)

 

 <その4>

 カナダ・バンクーバーでのアパート探し。ホームステイの1か月間に見つけなければと物件探しに奔走し、やっと見つけた好立地のアパート。入居して1か月後、アパートの改装工事に入るとお知らせが来ました。友人たちは「せっかく引っ越したのに、運悪っ。」

 私の部屋は3月下旬の1週間で終わる予定、しかし、ちょっと作業してはすぐ休憩の繰り返しでまったく進まず、やっと6月下旬に始まりました。埃だらけだわ、帰宅するたび、何か盗まれていないかとやきもきすること二週間。その後も不具合が出るとロシア訛りの大家に「あなたが壊したのか?」と疑われる始末。この経験でかなりタフになりましたけどね(笑)

 

 「私は医者と縁がない」シリーズ

 <その1>

 二十代前半、舌の付け根あたりにしこりがあり、ときどき腫れたので、地元の耳鼻咽喉科に行きました。診断は「扁桃腺が腫れてるね。」

 もともと扁桃腺が腫れやすいとはいえ、しこりがあるのは喉ではなく下顎あたり。下顎がんで祖母を亡くしているのもあって、私は超ナーバスになっていました。しかし、先生は「腫れているときは、このあたりまで違和感があるものだよ」と言い、うがい薬とビタミンB群の薬を処方しました。

 うがいをしようが、ビタミン飲もうが、しこりや腫れは変わらないまま。「喉じゃなくて舌の下です。ベロのつけねあたりが痛いんです!」と訴えても、セカンド・オピニオンの医院もサード・オピニオンでも、診断も処方も同じでした。

 どっさりのうがい薬とビタミン剤を前にして、地元の耳鼻咽喉科はもう終わった...と途方にくれると同時に、無性に腹ただしくもあり、この医師たちはばかじゃんと思ってしまったんです(苦笑)

 こうなったら賢い医師を選ばなくちゃと、訳も分からず飛び込んだのは東大付属病院。紹介状はないけれど、国立なんだから庶民の私だって診てくれるはずと強い確信をもって出かけました(笑)。

 覚悟はしていましたが、「紹介状がないんですか?」「かなりお待ちになりますよ」と受付の壁は高い。「紹介状がないとダメなんですか?なぜダメなんですか?何時間でも待ちます!」と若気の至りとはいえ失礼な態度でせめまくって受付突破。いざ、耳鼻咽喉科に行けば、15分足らずで呼ばれるという、なんなんでしょうね(笑)

 若い医師でしたが、事情を話すと顎と喉を丁寧に触診しながら「そうだよね、腫れてるのはここだもんね。のどじゃないよね」。その後レントゲン撮影し、その写真には唾液を分泌する袋からつながっている管に小さな細かい石がいくつか写っていました。唾液検査は異常なし。診断結果は「唾石」。自然に出てくることもあるので経過観察。その後、いつの間にか唾石が出たのか、数十年たった今も異常なし。

 帰宅すると心配していた家族が「地元の医者3人が同じ診断で見事に的外れとはねぇ。良いお医者さんとの縁がないのかねぇ」

 

 <その2>

 2年前から湿疹に悩まされていて、最初は足の脛に小さくできた湿疹。風呂上りに特にかゆみが強いので、近所の皮膚科へ。湿疹の出た左足脛を見せても、医師は一瞥しただけでカルテを見ながら問診を続けます。患者の顔すらろくに見ない医師の診断は「温熱蕁麻疹」でアレルギーの飲み薬を処方。服用してもかゆみは収まらず、今度は背中に発疹。

 そこで、何度かお世話になったことのある別の皮膚科へ。すっかり高齢になった先生ですが、信頼はしていたのでお世話になることにしました。診断は「脂漏性皮膚炎」。ステロイド軟膏とかゆみ止めの飲み薬。かゆみは収まっても発疹は背中、腹、胸、首、頭と広がり、収まる気配はなし。

「治るまで当分、かかりそうですか」
「悪いものじゃないからね。悪性腫瘍とかじゃないから」
「皮がむけたりするんですけど」
「掻いちゃだめだよ」
「いや、掻いてないです。服がこすれただけで皮がむけちゃうんです」
「処方した軟膏ぬりなさい」

 ところが、去年の秋ごろからステロイドの副作用で顔が真っ赤になる酒さに。そこで「しばらく塗り薬はやめて、飲み薬だけで」と経過観察になりました。

 幸い、酒さは収まり、いつものように病院へ行くと「事情により休院いたします」の張り紙。ええぇ!?

 高齢だった院長が体調を崩されたのかしらんと思いつつ、一緒にやっていた息子の副院長までなぜ休む?の疑問が...。電話をしても留守番メッセージが繰り返されるだけで再開の時期は不明。薬の処方や転院のための紹介状すら頼めません。飲み薬が途絶えてかゆみ復活。湿疹は顔に出始め、もう限界。この医院との縁が切れました。

 年明け早々にネットで調べて、5年ほどまえに大学病院を退官された先生が開業されたという病院へ。これでだめなら、また都内の病院へ紹介状なしの飛び込みしかありません。事情を説明し、診察してもらうと「んんっ!?これは...。血液検査したことは?ない?じゃ、すぐに検査しましょう」。

 血液検査の結果、血清中の抗体が異常値を示し、診断は「自己免疫性水疱性疾患」。先生はうなりながら「初期症状出てから2年以上経ってるからねぇ。ちょっと長期になるかもしれないなあ。ステロイドの治療法になるから体の様子を見ながら少しずつやっていきましょう」

 自宅に戻ってこの病気をネットで調べたら、「見た目の症状だけでは、簡単に診断できません。血液検査と、皮膚、あるいは粘膜の一部を検査する生検が必要です」との文言が...。「唾石」同様、視診や触診だけの診断は誤った結果となったわけです。 

 縁起についてWikipediaによれば

縁起とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。

 自分で選んだ病院で信頼をもって医師に診察をお願いすることで、そこに縁起が発生するってことですかね。信頼を失ってしまったら、結果もない。つまり縁がない。

 ならば、少しでも開運を、少しでも良縁とすがる先はもう「神頼み」しかない(笑)。

 昨日は歯科定期健診の帰りに、神田明神湯島天神五條天神社へと行きました。雪の影響でお茶の水から上野までの道のりは歩きづらかったですが、転倒することなく行けました。

 神田明神下の「大國屋治助」の飴が欲しかったんですが、シャッターが閉まっていました。これも運がないんでしょうかね(笑)。

 神田明神の境内に入るとアニメファンのパワースポットらしく、絵馬もアニメ関連のお願いごとが多く、若い方たちのひたむきさが感じられます。私のひたむきな願いは、とにかく運の悪さを脱すべき「開運」です(笑)

 さらに湯島天神へ向かい、多くの受験生の絵馬を眺めながら、本殿に手を合わせて少しでも賢くなるように、母がぼけませんようにと願ってまいりました。

 寒空の下、日当たりのよい場所の白梅の花が咲いておりました。「運がいい」と思いたいところです(笑)

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  不忍池を眺めながら、向かった先は医薬祖神を主神とする五條天神社。ひっそりとした場所にあって、人もまばら。

 思わぬ免疫疾患になったので、さっそく手を合わせてお願いしていると、「ガシャーン」と鉄パイプのぶつかる音。境内のどこかに足場を組むのか、作業員二人が交互に鉄パイプを担いでは、本殿横のスペースへと運んでいます。

 (病気がはや..)「ガシャーン」(はやく治り..)「ガシャガシャ」(治りますように!)「ガラガラガシャーン!!」

 参拝をすませ、すれ違いに一人の男性が参拝に来ました。ところが鉄パイプを鳴らす音が小さく、そのあとぱったり。「参拝のタイミングが悪かったかな...」と思わずにはいられませんでしたが、気を取り直して社務所へ。

 「病気平癒のお守りをください」と受け取ったお守りは雪で湿ったせいか、ちょっと袋がしわっぽい...。乾けば大丈夫だろうと湿度30%の今日、お守りの状態は...。

しわしわ...しょぼしょぼ...。

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 これでよい御利益があれば、まさに「運がいい」ですよね(笑)。

 その後、地元に戻って立ち寄った丸善ジュンク堂で見つけた一冊辛口誕生日事典2018

 私の誕生日を引いてみると、「逆境にあいやすく、それを肥やしとする人」らしい(爆)

 運や縁など気にせず、逆境の中とにかく突き進め!ってことですね。元気もらいました!(笑)