鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

運転免許証の自主返納

 昨日、ポストに運転免許更新のはがきが届いた。来月の誕生日(還暦)まで約1か月、ついに自主返納のときがきた。

 父は62歳で亡くなった。そのちょうど1年前に退職を決めた。単身赴任先の地方都市に10年以上住んでいて、ずっと車通勤だった。自宅に戻った後も車の運転は続けると思っていたら、あっさりやめた。

 「60を過ぎたら判断力や注意力がにぶる。何かあってからでは遅い」。

 自動車メーカーに勤めていた父にとって、車の事故はもちろん、違反も「一生の不覚」だった。

 リタイヤする2,3年前に父は進入禁止の路地にうっかり入ってしまい、通りがかりのパトカーに切符を切られた。ひどく落ち込んでいたので、切符を切られたことがショックなのかと思ったら、進入禁止を見落とした自分にがっかりしていたのだ。

 だれでもうっかりすることがあるよと慰めたら、「そのうっかりが大事故につながりかねない。年をとるとはそういうことだ」と言ったのが印象に残った。

 自宅に戻ってまもなく、父は届いた免許更新のはがきを捨てて、見事に失効切れを迎えた(当時は自主返納があったかどうかはわからなかった)。そのとき、まだ20代だった私は、父の固い決意をみて、なんて頑固者なんだろうと思った。

 しかし、ここ数年、高齢ドライバーの事故のニュースを頻繁に耳にするたび、父の言ってたことはこういうことなのかと認めざるをえない。自分も還暦を迎えたら運転するのはやめようと決めていた。

 30代半ばで留学する前に私は自分の愛車を処分した。乗らない車の駐車料金を払いたくなかったし、ほっといても維持費がかかる。留学費用でスッカラカンの私には経済的な負担が大きかった。帰国後、仕事に就いて収入を得るようになっても車を買う気は起らなかった。週末は仕事疲れでゆっくりしたかったし、出かけるときも公共機関を利用する方が便利に感じられた。母にとってはアッシーの私でなくなったのがご不満だが、私が必要なときは誰も運転してくれないではないかと反抗心もあった。ただ、免許は身分証明として便利だったので、ずっと更新は続けていたのだった。

 ペーパードライバー歴20年以上になったら、もう悔いはない。さっさと自主返納である。来週月曜日には母が退院してくるので、それまでに済ますには今日しかない。

 さっそく、免許センターに行って、自主返納の窓口に向かう。60歳前に返す人はおそらく少ないのであろう、窓口の女性は少し驚いた様子だった。

 「あの、よろしければ理由をお聞かせ願えますか?」というので、「ずっとペーパードライバーだったし、病気で運転御法度の薬も服用するようになったので、還暦を機に返納します」の答えに、納得した様子だった。

 そして、「運転経歴証明書」を交付してもらう。証明写真の顔はまさに病み上がりの顔で、実に感慨深いものがある(笑)。自主返納をした場合、公共交通機関の運賃割引などの特典があるらしいが、私の住む地域の特典は限られていて利用する機会はなさそうだ。

 運転免許の自主返納、終活のやることリストの1つが片付いて、ほっとしている。