鈴の文箱

日々の雑感(覚書)、本のこと(ネタバレあり)

生前契約

 40歳で介護保険の加入となったとき、職場の先輩方が「Welcome to the Senior Club, but you're still a junior」と言って笑った。シニアの中の若造(Jr.)。40代は老人ではないが、中高年の扉が開いて、老後が視野に入ってきた。

 30代までは付き合っていた人もいたし、婚活もそこそこやったりしたが、若いころから結婚生活の期待が薄かったために、途中で気分が盛り下がる。きっとこのまま独身だろうなと思った(見事にその通りになっている)。となると、老後は一人。さて、どうするよ、私。と考えたことがあった。

 そのとき、テレビかネットで「生前契約」というものを知った。自分が病気のときや亡くなった後の、身元引受や財産管理を第三者がするということだった。全く親戚縁者のない人向けかと思ったら、親戚縁者がいてもよいらしい。

 ある男性のコメントが印象的だった。

 その人は独身で仕事一筋で出世された人で、兄一家とは親しい間柄で、甥をずいぶん可愛がってきた。兄が亡くなったときも、甥は「おじさんの面倒はみるからね」と言われて、信頼していたという。その後、その男性がガンになり、入院中の世話を甥に頼んだら「毎月20万はもらわないと面倒見れないよ」と言われて愕然。経済的に余裕もあるので払えないわけではないが、金ありきの言葉にショックを受けたそう。そこで、もう頼れないと思い「生前契約」を申し込んだらしい。

 私の甥っ子もこうなるだろうと思ったが、コメントを読んだだけでは「生前契約」たるものが何なのかわからない。

 定義としては、

生前契約とは、判断力が無くなったときや自分の死後、身元引取や財産の管理を任せる制度。身寄りがない人、または身内に頼みたくない人も利用できる制度。生前事務委任・死後事務委任・任意後見契約と3つの契約がある。

 契約にはお金がかかりそうだが、この男性のケースのように親戚に頼んでもお金がかかるのなら、契約を交わした第三者のほうがビジネスだから気が楽かもしれないなぁとぼんやり思っていた。

 そして現在、「生前契約」の必要性をひしひし感じている。現実を帯びたのが、6月のコロナ感染で市販薬の副作用で失神したときだ。目を覚ましたときに、こういうことが起こりうる年齢になったという実感と、終活を本格的に始めなければと思ったのだ。

 さっそく、ネットで調べていくつかパンフレットを取り寄せた。サービスも値段も様々だが、しつこく勧誘するところは即却下。良さげななかの一つの説明会に参加することにした。「生前契約」がいまだに漠然としたイメージしかないので、どういった内容なのか、契約の流れや経費はいくらか、そしてその企業そのものもよく知りたかった。

 参加者は3人。いずれも女性ばかりで二人は明らかに私より年上だった。そのうちの一人が説明の間にちょこちょこ質問を挟み、それが個人的な話になってしょっちゅう脱線した。プレゼンしている人たちはそういった対応には慣れているのか、「あとでゆっくりお話しは伺いますので、まずはこの説明をしますね」と進めてくれた。

 説明を聞いてわかったことは、まず自分がどうしたいのかを具体的に決めなければならないということ。病気のときにどこまでサポートしてほしいのか、また死後はどうしたいのか、などを具体的に詳細に詰めていく作業が必要。その細かいポイントを説明してくれたのは、私にとって大きな気づきだった。漠然としたイメージを具体化していく作業は、自分が主体的に決めたことに対して、その企業がどういった形でサポートしてくれるのかを念入りに話し合っていくことになる。途中で気が変わっても変更可能だというのもよかった。

 

 さて、話を脱線させたその女性。彼女は説明会が始まる前に、近くに座った女性にいきなりこんな話を持ち掛けた。

 「私たちのお金は、死んだら受取人なしの場合は国庫に入っちゃうんでしょ?それが裏金に使われるなんていやよ。自民党はだめよね。女を馬鹿にしているわ!」

 どうも、世の中に怒っているようだ。

 「日本は142か国中、最も不親切な国なんですよ。最下位なんですよ。これじゃ国が滅びますよ!」

 と、話題もグローバルである。私は内心、だからここにきてるのにと思ったが、彼女の怒りの原因が意外なことに身内にあった。

 話を聴くと、実家を処分し、現在はケアハウスに住んでいる。その保証人は弟さんなのだが、最近になって弟さんが保証人を辞めたいと言い出した。理由を聞くと甥が保証人になったら大変だと言ったという。

 「人をダイナマイトみたいな言い方して、何が大変なんですか?お金ですか?はっきり言って私はお金はありますよ。そういうケースは多いっておっしゃってましたよね。統計とってます?親戚の人がやりたがらない理由はなんですか?やっぱりお金?」

 「助け合いの精神ってものがないんですよ!だから日本はだめなんです!」

 という具合で身内の不満から世の不満へと連動した模様である。

 私も他人事ではなく、自分に置き換えてみた。兄が私の保証人になってくれるなんてことは絶対にありえないが、この甥のように「大変だ」と思う理由はなんとなく理解できる。

 まず、保証人になった父親がその叔母さんより先に亡くなった場合、叔母さんの保証人を甥が引き受けなければならないのか。まず、そこが不安材料なのだろう。

 父親と叔母さんは兄弟姉妹だが、甥となると立場が違う。両親の面倒+叔母さんは負担が大きいと感じるだろう。

 その叔母さんと甥との親密度(意思疎通)も関係していると思う。前述した男性のケースも自分は甥をかわいがったつもりでも、甥はお金をくれるおじさんとしか見てないケースもある。

 一方で、その女性の怒りもわかる。病気を抱えながら実家を一人で片づけて、ケア・ハウスに移り、精一杯やってきたのにあまりにもやるせないのだろう。叔母として甥をかわいがってきたのかもしれない。

 甥がこんなことをいうのは世の中が悪いと思いたいのもよくわかる。それは私の母が見舞いにこなかった兄を兄嫁のせいにするのと同じなのだ。

 でも、現実を直視しないと進めないと思った。身内に煙たがられている、関りをもちたくないのかもしれない、嫌われているかもしれないと認めるのはつらいが、頼れないとわかった以上、それを受け止めなければいけないのだ。

 説明会が終わった後も、その女性はスタッフたちに思いの丈をぶちまけていた。話すことで気が楽になれば、それはそれで説明会に参加してよかったと思うだろう。

 終活を進めいくうえで、大いに学んだ1日だった。