5年以上前に、皮膚の水泡ができはじめ、地元のクリニックを3件回ってようやく免疫疾患とわかってから通い始めた現在の大学病院。
その皮膚科で処方されたステロイドの副作用で血糖値が上がり始めたので、経過観察のため糖尿病代謝内科へ。
そこでたまたま担当医が休みで代診してくださった代謝内科医が、私の善玉コレステロールがずっと高いことに気づいて、念のため頸動脈エコーを受けたら、狭窄が見つかり、血管外科へ。
そこでさらに検査を重ねて、狭窄ができてるところが脳外科のエリアということで、本日、脳外科初診日となった。
エコー、CT検査と去年のうちに終わらせた。残るはカテーテル検査である。今更怖気づいても始まらないので、どんとこいという気分である。本日は初診担当なので、来週、専門医の診察となる。
本日も母一人で留守番という賭けにでた。用意した昼食も食べてあり、食間に飲む薬もちゃんと飲んでいたのでホッとする。
近いうちに行われるであろうカテーテル検査を安易に考えていた私は、どんな検査なんだろうかと調べたら、入院の可能性があるではないか。日帰りも可能なところもあったが、帰宅したら安静にという感じだ。今の我が家は帰宅して休めるような状態ではない。これは、早めに介護サービスを探さないといけない。
ところが、今日になって母は急に介護サービスはいやだと言い出した。
兄のところに世話になると言い出し、やれやれ状態である。兄嫁が低たんぱく、減塩、低カリウム、低リン、糖質コントロールを考えたメニューなど作るはずもなく、名ばかりのヘルシー弁当か、カップラーメンまたはファミレス通いが関の山である。
「入院中、一度も見舞いに来なかったのに。容体すら聞かなかった兄たちが面倒見てくれると思う?」と問いかけると黙ってうつむく。
「私が安心して検査や入院を受けられるようにするために、介護サービスを受けてくれる気はないの?」と聞くと、「一人で大丈夫って言ってるじゃない」と言い張る。「私のために行ってくれる気はないの?」と真剣に聞いてみた。「悪いけど行きたくない。あんたが心配しなければいいでしょ」。
ああ、やっぱりね。娘の気持ちがわからない。「人を心配する」というのがわからないのである。頼んでいないのにあんたが勝手に心配しているという解釈なのだ。
母の家系はこの傾向が強い。祖父母をはじめ、叔父や叔母たちもそうなので、子供たちは何らかの形で傷ついているか歪んでいる。亡くなった叔母の娘は、ディズニー好きの夢見る夢子だったが、叔母は容赦なく揶揄し続けた。そして小学校に上がったころ、「お母さんはわからないの」と私にそっと打ち明けた。娘を否定し続けた叔母との溝は深くなり、大学も中退した。そして叔母がガンにかかったときは看病をしたが、葬儀では彼女は涙を流さなかったところを見ると、溝は埋まらなかったのだろう。一方で兄のようにそれを受け継いでいる従妹もいて、親戚同士で冷酷な言動を聞くたびに身の毛がよだつ。親族としてまとまりなどなく、叔父が亡くなったことで絶えてしまった一族なのである。母の家系を恨んでも何の解決にもならないが、いつも脳裏をよぎってしまう。
母の気持ちを尊重すると、私自身がおざなりになる。この相反する状態がいつも私を苦しめた。しかし、今回は気持ちを改めた。私を大事にしてくれる人は私しかいないから、私を優先させてもらうことにする。
明日は母の外来診察。終わったら、こっそり介護サービスの相談に行ってこようっと。